野呂往還を歩く 第2弾【報告】2月17日【徒歩例会】
2月17日(日)に福山市の蛇円山から野呂往還の跡を探し歩く徒歩例会を行ないました。
今回の企画は、一昨年十二月戸手からの柏、大坊をめぐった企画の続編として行われたが、無人地帯を歩いたため、途中で道に迷ったり、藪の中を歩いたりの連続で、なかなか野趣溢れる企画となった。疲れた反面、満足感もあったと思う。
出発地は蛇円山山腹の駐車場です。今回ややや霞がかっていましたが、天気がよければ瀬戸内海まで見渡せる素晴らしい眺望です。
参加者は29名。講師の田口義之会長の挨拶のあと、早速出発です。
最初は整備された林道を通りますが、いきなりの雪道です。
野呂往還を歩く参加者
途中の高靇神社を過ぎた辺りからかつての街道になりますが、こんなところに朽ちかけた廃車があったりします。
思ったよりも通りやすい道で順調と思いきや、目的地目前で道を間違えてしまいます。
迷いながらも偵察部隊やGPSのお陰で最初の目的地の道標に到着。
ここから先は昨年「父尾銀山を攻略せよ!」の企画で通りましたので、ここで引き返します。
土橋があります。かつての街道の痕跡が所々に残っています。
当初は蛇円山まで一旦戻る予定でしたが、時間がやや押し気味のため、山中にて昼食。皆さん普通の弁当かと思いきや、固形燃料や熱湯持参で缶詰や麺類を食べるひともあり、バラエティ豊なランチです。
昼食後、山を下りかつての集落「野々倉」へと向かいます。倒木を何本も跨いでのまさに道無き道を進みます。
野々倉の集落跡に到着です。昭和20年頃までは十数戸の民家があったそうですが、建物は文字通り跡形もなく消えていました。
野草化した山葵を探す参加者
野々倉から更に進むと、道標があります。ここから山を登り原城跡に向かいますが、これまでのあまりに困難な道程に2名の方は登頂を断念し、先に蛇円山へと戻ることになりました。
原城本丸に到着。ここには朽ちかけた祠がありました。
祠の裏には棟札が残されていました。年号は書かれていませんでしたが、周囲に散らばるセメント瓦から昭和20年台頃に建てられてたようです。
原城跡の北側を少し下ると集落跡があります。ここは戦後間もなくに満州などから引き上げてきた人たちが入植したとのこと。
巻き上げ機と思われる機械やセメント瓦が散乱していました。住人は高度成長期に集落から去っていったそうです。
原城跡の山から下山します。崖に間近の細い道をビクビクしながら下ります。
山を下ると今度は蛇円山に山登り…振り返ると原城跡が見渡せます。よくあんな場所から歩いてきたものだ…と、日頃から山城に登っている人すら弱音を吐くほどのハードな道のりでした。そして、GPSもここで電池切れ。
ここで紹介したいのは、出合った自然の豊かさである。野々倉集落の跡では野草化した「わさび」やお茶の木を見つけた。最後の、藤井副会長の即席野草教室も良かったと思う。
なんとか出発地の駐車場に到着しました。本当にお疲れさまでした。
https://bingo-history.net/archives/7546野呂往還を歩くhttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/02/492e161ce4cd53da72b0b808b53bc70d.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/02/492e161ce4cd53da72b0b808b53bc70d-150x100.jpg活動報告例会,野呂往還2月17日(日)に福山市の蛇円山から野呂往還の跡を探し歩く徒歩例会を行ないました。 今回の企画は、一昨年十二月戸手からの柏、大坊をめぐった企画の続編として行われたが、無人地帯を歩いたため、途中で道に迷ったり、藪の中を歩いたりの連続で、なかなか野趣溢れる企画となった。疲れた反面、満足感もあったと思う。 出発地は蛇円山山腹の駐車場です。今回ややや霞がかっていましたが、天気がよければ瀬戸内海まで見渡せる素晴らしい眺望です。 参加者は29名。講師の田口義之会長の挨拶のあと、早速出発です。 最初は整備された林道を通りますが、いきなりの雪道です。 野呂往還を歩く参加者 途中の高靇神社を過ぎた辺りからかつての街道になりますが、こんなところに朽ちかけた廃車があったりします。 思ったよりも通りやすい道で順調と思いきや、目的地目前で道を間違えてしまいます。 迷いながらも偵察部隊やGPSのお陰で最初の目的地の道標に到着。
ここから先は昨年「父尾銀山を攻略せよ!」の企画で通りましたので、ここで引き返します。 土橋があります。かつての街道の痕跡が所々に残っています。 当初は蛇円山まで一旦戻る予定でしたが、時間がやや押し気味のため、山中にて昼食。皆さん普通の弁当かと思いきや、固形燃料や熱湯持参で缶詰や麺類を食べるひともあり、バラエティ豊なランチです。 昼食後、山を下りかつての集落「野々倉」へと向かいます。倒木を何本も跨いでのまさに道無き道を進みます。 野々倉の集落跡に到着です。昭和20年頃までは十数戸の民家があったそうですが、建物は文字通り跡形もなく消えていました。 野草化した山葵を探す参加者 野々倉から更に進むと、道標があります。ここから山を登り原城跡に向かいますが、これまでのあまりに困難な道程に2名の方は登頂を断念し、先に蛇円山へと戻ることになりました。 原城本丸に到着。ここには朽ちかけた祠がありました。 祠の裏には棟札が残されていました。年号は書かれていませんでしたが、周囲に散らばるセメント瓦から昭和20年台頃に建てられてたようです。 原城跡の北側を少し下ると集落跡があります。ここは戦後間もなくに満州などから引き上げてきた人たちが入植したとのこと。 巻き上げ機と思われる機械やセメント瓦が散乱していました。住人は高度成長期に集落から去っていったそうです。 原城跡の山から下山します。崖に間近の細い道をビクビクしながら下ります。 山を下ると今度は蛇円山に山登り…振り返ると原城跡が見渡せます。よくあんな場所から歩いてきたものだ…と、日頃から山城に登っている人すら弱音を吐くほどのハードな道のりでした。そして、GPSもここで電池切れ。 ここで紹介したいのは、出合った自然の豊かさである。野々倉集落の跡では野草化した「わさび」やお茶の木を見つけた。最後の、藤井副会長の即席野草教室も良かったと思う。 なんとか出発地の駐車場に到着しました。本当にお疲れさまでした。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会