福山花火今昔 福山の花火の歴史について
きょう15日は13日から始まった福山祭りのフィナーレ・花火の日です。
そこで福山の花火の歴史について少し語ってみましょう。
と言っても備陽史探訪の会会員さんからお聞きしたものなのですが…
福山の花火は今でこそ芦田川河口近くの水呑大橋付近で開催されてますが、これは、ほんの十年近く前(?)からで、それまでは現在の会場より1km上流の法音寺橋付近(草戸稲荷神社前)で、ずっ~と開催されていました。
ですから福山の花火と言ったら、この「草戸の花火」をイメージされる方が多いと思います。
そして、ならば福山の花火は、この「草戸の花火」が起源かというと、そうではありません。「草戸の花火」が開催されるようになったのは昭和30年代からだと言います。
では「草戸の花火」以前はどうだったのでしょうか?
花火はやっていなかったのでしょうか?
ところで福山のお隣の尾道の花火を御存じですよね。
そう、「住吉さん」のことです。住吉神社の夏祭りです。
ここで、ちょっと思い出してください。福山にも住吉神社(国道2号線近く ※鞆の住吉神社ではありません)があることを。
それなのに尾道の住吉神社に比べると花火もやってなくて、なぜだか影が薄い。しかし、そんなことないのです。
この福山の住吉神社は今でこそ当時を想像できませんが、かつて福山城と海をつなぐ入川に面していました。
江戸時代からかどうかは確認してませんが、夏祭りが盛大に開催され、花火を打ち上げていたそうで、この住吉神社の花火こそ、実は福山の花火の起源だったのです。
しかし戦後の入川の埋め立てで、打上花火が出来なくなったのでしょうか、福山の花火は「住吉の花火」から「草戸の花火」へと引き継がれていったのでした。
ん、そろそろ花火が始まる時間かな、それでは失礼
https://bingo-history.net/archives/22851https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/mark.pnghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/mark-150x100.png事務局だよりきょう15日は13日から始まった福山祭りのフィナーレ・花火の日です。 そこで福山の花火の歴史について少し語ってみましょう。 と言っても備陽史探訪の会会員さんからお聞きしたものなのですが… 福山の花火は今でこそ芦田川河口近くの水呑大橋付近で開催されてますが、これは、ほんの十年近く前(?)からで、それまでは現在の会場より1km上流の法音寺橋付近(草戸稲荷神社前)で、ずっ~と開催されていました。 ですから福山の花火と言ったら、この「草戸の花火」をイメージされる方が多いと思います。 そして、ならば福山の花火は、この「草戸の花火」が起源かというと、そうではありません。「草戸の花火」が開催されるようになったのは昭和30年代からだと言います。 では「草戸の花火」以前はどうだったのでしょうか? 花火はやっていなかったのでしょうか? ところで福山のお隣の尾道の花火を御存じですよね。 そう、「住吉さん」のことです。住吉神社の夏祭りです。 ここで、ちょっと思い出してください。福山にも住吉神社(国道2号線近く ※鞆の住吉神社ではありません)があることを。 それなのに尾道の住吉神社に比べると花火もやってなくて、なぜだか影が薄い。しかし、そんなことないのです。 この福山の住吉神社は今でこそ当時を想像できませんが、かつて福山城と海をつなぐ入川に面していました。 江戸時代からかどうかは確認してませんが、夏祭りが盛大に開催され、花火を打ち上げていたそうで、この住吉神社の花火こそ、実は福山の花火の起源だったのです。 しかし戦後の入川の埋め立てで、打上花火が出来なくなったのでしょうか、福山の花火は「住吉の花火」から「草戸の花火」へと引き継がれていったのでした。 ん、そろそろ花火が始まる時間かな、それでは失礼管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会