徒歩例会『利鎌山城と福田氏の足跡を求めて』

歴史の風薫る晩秋の福田を訪ねて

福田公民館に集合する

9時20分 福田公民館に集合する。芦田町福田は中世の荘園「福田荘」があったところ。

 

公民館前の農村風景

公民館前の農村風景。福田荘は観応2年足利尊氏より杉原彦太郎信平に福田荘地頭職があてがわれて以後、高洲杉原氏に代々伝えられた。

続々と人が集まってきた

続々と人が集まってきた。

 

いよいよ出発した

いよいよ出発した。前の山の下を左に曲がり進む。

 

山の下に五輪塔群がある

山の下に五輪塔群がある。約三十数基の五輪塔残欠がある。

 

約三十数基の五輪塔残欠

上の山にあった旧福田寺跡の墓地改修した時発見された。

 

案内者の坂本さん

周辺から整備時に、集められたと説明している案内者の坂本さん。

 

角に辻堂があった

進むと角に辻堂があった。

 

里村の住宅地の道を行き、右折する

里村の住宅地の道を行き、右折する。

 

右に入って真っ直ぐ進む

右に入って真っ直ぐ進む。

 

古い住宅と新しい住宅が向かい合っていた

古い住宅と新しい住宅が向かい合っていた。

 

道には石仏が祀られている

道には石仏が祀られている。

 

福田寺福性院

北面山福田寺福性院まで来た。元福田氏の菩提寺であったと伝えられる。

 

真言宗大覚寺派に属する福性院

真言宗大覚寺派に属する福性院。

 

福性院の案内板

福性院の案内板。御本尊は十ニ面観音菩薩である。

 

亀山八幡神社の集落に向う

川に沿って亀山八幡神社の集落に向う。

 

亀山八幡神社の鳥居前

亀山八幡神社の鳥居前についた。鳥居を見て参道を入って行<。

 

標柱

入って行くと標柱がある。

 

標柱の裏側

標柱の裏側に「昭和四年四月ー日」と刻まれていた。

 

石段を上がって行く

石段を上がって行く。かなり急であるので用心して上がる。二の標柱には「明治三十三年四月建之」とある。

 

中原荒神社と市原荒神社

石段の途中に「中原荒神社と市原荒神社」があった。

 

ニの鳥居をくぐり境内に向う

ニの鳥居をくぐり境内に向う。標柱には「正徳四年甲午」とある。

 

お尻を上げ、尾の大きな出雲型狛犬

お尻を上げ、尾の大きな出雲型狛犬を見る(右)。台座に奉納者の名前が刻まれていた。

 

左の狛犬

左の狛犬。台座に「嘉永三年」とある。

 

大きな鉄製でニつ巴紋がある用水

大きな鉄製でニつ巴紋がある用水。

 

拝殿の中

拝殿の中を見るとびっくりするほど多くの絵馬があった。

 

日露戰旅順砲壷乗取光景

これは「日露戰旅順砲壷乗取光景」とある絵馬である。

 

客船の写真絵馬

客船の写真絵馬。戦後奉納された物である。

 

何を描いた絵馬か不明

何を描いた絵馬か不明だった。

 

砲弾が奉納されていた

砲弾が奉納されていた。

 

戦国武将がー騎打ちをしている場面の絵馬

戦国武将がー騎打ちをしている場面の絵馬である。

 

日清戦役の戦闘場面を描いた絵馬

日清戦役の戦闘場面を描いた絵馬である。

 

戦国合戦の絵馬。

戦国合戦の絵馬。

 

神殿

神殿を見る。

 

神殿の軒に掲げてある絵馬

神殿の軒に掲げてある絵馬。右に砲弾が奉納されていた。

 

摂外社を見る

摂外社を見る。艮神社、山ノ神社、割石・名工・別所、その他多くの摂外社がある。

 

明治天皇が間者に乗っている絵馬

明治三六年とある。明治天皇が馬車に乗っている絵馬である。

 

源平合戦の絵馬

源平合戦の絵馬。

 

祖霊社と招魂社

祖霊社と招魂社もある。

 

武者絵馬と思われる

武者絵馬と思われる。

 

正面から拝殿を見る

正面から拝殿を見る。

 

拝殿前から狛犬と下の神門を見る

拝殿前から狛犬と下の神門を見る。

 

急な石段を下って行く

急な石段を下って行く。右の玉垣には「昭和五年九月 御大典記念」とある。

 

境内から下を見る

境内から下を見る。遠くに見える農村 風景がよい。

 

利鎌山城に向う道

利鎌山城に向う道の光景。

 

池に沿って家の横を曲がって進む

丘の上に神社が見えるがそこには行かなかった。池に沿って家の横を曲がって進む。

 

地神があった

地神があった。ここを左に曲がって進む。

 

木野山神社の鳥居

すると丘の上に鳥居が見えた。木野山神社の鳥居である。

 

利鎌山城跡の説明板

神社前の登山道に利鎌山城跡の説明板が建てられていた。福田遠江守光雅が築いたとある。200年後、岡田遠江守盛雅は有地美作守隆信の攻撃を受けて滅亡する。

 

木野山神社の拝殿

木野山神社の拝殿。

 

神社下の農村集落

神社下の農村集落を見る。

 

中世の景観を残す別所の農村風景

中世の景観を残す別所の農村風景。別所の地名は寺域内の空閑地。領主などのない空閑地など未開発の地を占定し、そこに造成された宗教施設。

 

ここから利鎌山城跡に登って行く

ここから利鎌山城跡に登って行く。

 

「大山神」の石碑があった

進むと「大山神」の石碑があった。

 

木野山神社の社殿

下を振り向くと木野山神社の社殿が見えた。

 

落ち葉がこんなにも積もっている道を行く

落ち葉がこんなにも積もっている道を行く。

 

福山市水道局別所配水池

中腹にあった「福山市水道局別所配水池」を見る。

 

金網の柵の周りを回って登って行く

金網の柵の周りを回って登って行く。

 

配水池のセメント池

金網から見た配水池のセメント池。

 

滑らないように落ち葉を踏みしめていく

滑らないように落ち葉を踏みしめていく。

 

山城に登って行く感じが強くなってきた

次第に山城に登って行く感じが強くなってきた。

 

利鎌山城址(左)200m、右に行くと大旗山あと916mとある。左方向に進む。

 

斜面下の道を進む

斜面下の道を進む。

 

竪堀跡と思われる斜面

竪堀跡と思われる斜面を見る。

 

竪堀跡の上方向を見る

竪堀跡の上方向を見る。

 

頂上の郭が近くなって来た

頂上の郭が近くなって来た。

 

堀切がある

堀切がある。

 

堀切によって、この上の郭を守る構造になっている

堀切によって、この上の郭を守る構造になっている。

 

郭の下の道を行く

郭の下の道を行く。

 

道には落ち葉がうず高く積もっている

道には落ち葉がうず高く積もっている。

 

下を見ると赤坂に通じる道が見えた

下を見ると赤坂に通じる道が見えた。

 

一の郭(本丸)

ようやく一の郭(本丸)に着いた。

 

井戸跡の案内

井戸跡の案内がある。このくぼ地が井戸跡である。

 

郭から動物園方向を見る。

 

郭を歩いて確認していく

郭を歩いて確認していく。

 

この下が堀切である

この下が堀切である。

 

昼食を食べる

めいめいが好きな場所に陣取って昼食を食べる。

 

こちらは女性グループ

こちらは女性グループ。楽しく集まって食べている。

 

土塁がある

土塁がある。

 

坂本さんが利鎌山城について説明している姿

食事後、坂本さんが利鎌山城について説明している姿。

 

堀切を見るためロープを使って上がって行く

堀切を見るためロープを使って上がって行く。

 

郭を通って堀切まで行く

郭を通って堀切まで行く。

 

堀切の斜面を上がっていった

堀切の斜面を上がっていった。

 

別の郭を見る

別の郭を見る。

 

芦田町の風景を眺めて

芦田町の風景を眺めて。

 

利鎌山城址の表示

利鎌山城址の表示。標高206.6mと書かれている。

 

尾根を切った堀切

尾根を切った堀切。この下はかなり険しい。

 

郭を通って行く

郭を通って行く。

 

別所集会所と書いた表示

別所集会所と書いた表示がある。

 

堀切を見る

堀切を見る。

 

山腹に沿った道を下って行く

山腹に沿った道を下って行く。

 

中腹まで下って来た

中腹まで下って来た。金網に沿って下って行く。滑るので用心した。

 

木野山神社の境内社

木野山神社の境内社。

 

内部を観察してよく見た

内部を観察してよく見た。

 

もう一方の境内社

もう一方の境内社。

 

拝殿の中に多くの絵馬があった

拝殿の中に多くの絵馬があった。これは武者の絵馬である。

 

日清戦争の絵馬

日清戦争の絵馬。

 

平和克〇伊勢御参拝の絵馬

平和克〇伊勢御参拝の絵馬。天皇・皇后が馬車に乗っている。

 

合戦絵馬

合戦絵馬。

 

何の絵か不明

何の絵か不明である。

 

日露戦争の絵馬

日露戦争の絵馬。

 

この拝殿に多くの絵馬があった

この拝殿に多くの絵馬があった。

 

木野山神社は登山道の丘の上にある

木野山神社は登山道の丘の上にある。

 

別所集会所

別所の集落と手前にある別所集会所を見る。

 

正面の地神を見て右下に下って進んだ

正面の地神を見て右下に下って進んだ。

 

田園風景の中を進んで行く

稲が刈り取られた後、また葉が出ているが、寒くなり枯れていくだろう。そうした田園風景の中を進んで行く。

 

農家の集落地を進む

農家の集落地を進む。

 

廃屋

廃屋が見える。

 

集落地帯を行く

新しい民家が増えた平地の集落地帯を行く。

 

八島中世屋敷跡

少し高くなった住宅の周囲が八島中世屋敷跡である。

 

樹木に囲われた城館屋敷地

裏側を見る。こんもりと茂った樹木に囲われた城館屋敷地である。

 

屋敷の中から城館跡の裏側を見る

屋敷の中から城館跡の裏側を見る。

 

土塁の遺構

土塁の遺構である。

 

裏側に回って土塁跡を見ていく

裏側に回って土塁跡を見ていく。

 

屋敷の裏側は土塁で囲まれていた

屋敷の裏側は土塁で囲まれていた。

 

土塁の井戸

土塁のところに井戸があり、ポンプが据えられていた。

 

屋敷の周りを下から見る

屋敷の周りを下から見る。

 

裏側の下の道

裏側の下の道をまわって調べに行った。

 

城館があったことを示す斜面

城館があったことを示す斜面の部分。

 

屋敷神の祠

上に上がると屋敷神の祠があった。

 

灯寵

灯寵には「文政ニ・・・」と刻まれていた。

 

中世の城館があった地形

たしかに中世の城館があった地形が感じられる。

 

公民館に向って

公民館に向って帰って行く。

 

利鎌山城

振り返ってみると登って来た利鎌山城が見える。

 

八島中世の土井屋敷跡

この森に囲まれたところが城館があった八島中世の土井屋敷跡である。

 

農村集落の道

静かな農村集落の道を行く。

 

石臼が引き詰められていた

農家の入ロに石臼が引き詰められていた。

 

ようやく帰ってきた

ようやく帰ってきた。ここを右に曲がると福田公民館に着く。今回も見るべきところが多く、山城だけでなく土井屋敷や神社の絵馬などを見ることが出来た。

 

【利鎌山城】

【八島中世土居屋敷跡】

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/02/CCI_000075_17.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/02/CCI_000075_17-150x100.jpg管理人活動報告歴史の風薫る晩秋の福田を訪ねて 9時20分 福田公民館に集合する。芦田町福田は中世の荘園「福田荘」があったところ。   公民館前の農村風景。福田荘は観応2年足利尊氏より杉原彦太郎信平に福田荘地頭職があてがわれて以後、高洲杉原氏に代々伝えられた。 続々と人が集まってきた。   いよいよ出発した。前の山の下を左に曲がり進む。   山の下に五輪塔群がある。約三十数基の五輪塔残欠がある。   上の山にあった旧福田寺跡の墓地改修した時発見された。   周辺から整備時に、集められたと説明している案内者の坂本さん。   進むと角に辻堂があった。   里村の住宅地の道を行き、右折する。   右に入って真っ直ぐ進む。   古い住宅と新しい住宅が向かい合っていた。   道には石仏が祀られている。   北面山福田寺福性院まで来た。元福田氏の菩提寺であったと伝えられる。   真言宗大覚寺派に属する福性院。   福性院の案内板。御本尊は十ニ面観音菩薩である。   川に沿って亀山八幡神社の集落に向う。   亀山八幡神社の鳥居前についた。鳥居を見て参道を入って行<。   入って行くと標柱がある。   標柱の裏側に「昭和四年四月ー日」と刻まれていた。   石段を上がって行く。かなり急であるので用心して上がる。二の標柱には「明治三十三年四月建之」とある。   石段の途中に「中原荒神社と市原荒神社」があった。   ニの鳥居をくぐり境内に向う。標柱には「正徳四年甲午」とある。   お尻を上げ、尾の大きな出雲型狛犬を見る(右)。台座に奉納者の名前が刻まれていた。   左の狛犬。台座に「嘉永三年」とある。   大きな鉄製でニつ巴紋がある用水。   拝殿の中を見るとびっくりするほど多くの絵馬があった。   これは「日露戰旅順砲壷乗取光景」とある絵馬である。   客船の写真絵馬。戦後奉納された物である。   何を描いた絵馬か不明だった。   砲弾が奉納されていた。   戦国武将がー騎打ちをしている場面の絵馬である。   日清戦役の戦闘場面を描いた絵馬である。   戦国合戦の絵馬。   神殿を見る。   神殿の軒に掲げてある絵馬。右に砲弾が奉納されていた。   摂外社を見る。艮神社、山ノ神社、割石・名工・別所、その他多くの摂外社がある。   明治三六年とある。明治天皇が馬車に乗っている絵馬である。   源平合戦の絵馬。   祖霊社と招魂社もある。   武者絵馬と思われる。   正面から拝殿を見る。   拝殿前から狛犬と下の神門を見る。   急な石段を下って行く。右の玉垣には「昭和五年九月 御大典記念」とある。   境内から下を見る。遠くに見える農村 風景がよい。   利鎌山城に向う道の光景。   丘の上に神社が見えるがそこには行かなかった。池に沿って家の横を曲がって進む。   地神があった。ここを左に曲がって進む。   すると丘の上に鳥居が見えた。木野山神社の鳥居である。   神社前の登山道に利鎌山城跡の説明板が建てられていた。福田遠江守光雅が築いたとある。200年後、岡田遠江守盛雅は有地美作守隆信の攻撃を受けて滅亡する。   木野山神社の拝殿。   神社下の農村集落を見る。   中世の景観を残す別所の農村風景。別所の地名は寺域内の空閑地。領主などのない空閑地など未開発の地を占定し、そこに造成された宗教施設。   ここから利鎌山城跡に登って行く。   進むと「大山神」の石碑があった。   下を振り向くと木野山神社の社殿が見えた。   落ち葉がこんなにも積もっている道を行く。   中腹にあった「福山市水道局別所配水池」を見る。   金網の柵の周りを回って登って行く。   金網から見た配水池のセメント池。   滑らないように落ち葉を踏みしめていく。   次第に山城に登って行く感じが強くなってきた。   利鎌山城址(左)200m、右に行くと大旗山あと916mとある。左方向に進む。   斜面下の道を進む。   竪堀跡と思われる斜面を見る。   竪堀跡の上方向を見る。   頂上の郭が近くなって来た。   堀切がある。   堀切によって、この上の郭を守る構造になっている。   郭の下の道を行く。   道には落ち葉がうず高く積もっている。   下を見ると赤坂に通じる道が見えた。   ようやく一の郭(本丸)に着いた。   井戸跡の案内がある。このくぼ地が井戸跡である。   郭から動物園方向を見る。   郭を歩いて確認していく。   この下が堀切である。   めいめいが好きな場所に陣取って昼食を食べる。   こちらは女性グループ。楽しく集まって食べている。   土塁がある。   食事後、坂本さんが利鎌山城について説明している姿。   堀切を見るためロープを使って上がって行く。   郭を通って堀切まで行く。   堀切の斜面を上がっていった。   別の郭を見る。   芦田町の風景を眺めて。   利鎌山城址の表示。標高206.6mと書かれている。   尾根を切った堀切。この下はかなり険しい。   郭を通って行く。   別所集会所と書いた表示がある。   堀切を見る。   山腹に沿った道を下って行く。   中腹まで下って来た。金網に沿って下って行く。滑るので用心した。   木野山神社の境内社。   内部を観察してよく見た。   もう一方の境内社。   拝殿の中に多くの絵馬があった。これは武者の絵馬である。   日清戦争の絵馬。   平和克〇伊勢御参拝の絵馬。天皇・皇后が馬車に乗っている。   合戦絵馬。   何の絵か不明である。   日露戦争の絵馬。   この拝殿に多くの絵馬があった。   木野山神社は登山道の丘の上にある。   別所の集落と手前にある別所集会所を見る。   正面の地神を見て右下に下って進んだ。   稲が刈り取られた後、また葉が出ているが、寒くなり枯れていくだろう。そうした田園風景の中を進んで行く。   農家の集落地を進む。   廃屋が見える。   新しい民家が増えた平地の集落地帯を行く。   少し高くなった住宅の周囲が八島中世屋敷跡である。   裏側を見る。こんもりと茂った樹木に囲われた城館屋敷地である。   屋敷の中から城館跡の裏側を見る。   土塁の遺構である。   裏側に回って土塁跡を見ていく。   屋敷の裏側は土塁で囲まれていた。   土塁のところに井戸があり、ポンプが据えられていた。   屋敷の周りを下から見る。   裏側の下の道をまわって調べに行った。   城館があったことを示す斜面の部分。   上に上がると屋敷神の祠があった。   灯寵には「文政ニ・・・」と刻まれていた。   たしかに中世の城館があった地形が感じられる。   公民館に向って帰って行く。   振り返ってみると登って来た利鎌山城が見える。   この森に囲まれたところが城館があった八島中世の土井屋敷跡である。   静かな農村集落の道を行く。   農家の入ロに石臼が引き詰められていた。   ようやく帰ってきた。ここを右に曲がると福田公民館に着く。今回も見るべきところが多く、山城だけでなく土井屋敷や神社の絵馬などを見ることが出来た。   【利鎌山城】 【八島中世土居屋敷跡】備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い