11月28日【徒歩例会】鞆の南北朝を歩く 開催
古くから瀬戸内海の要衝として鞆の浦、特に南北朝の動乱期にはたびたびその渦中の舞台となりました。
その鞆を南北朝期に思いをはせながら巡りました。
今日の案内役は中世史部会の大場和弘さん。快晴で気温も適度な絶好の探訪日和でした。
まず、柿もたわわな安国寺へ。釈迦堂と柿のコントラストが秋を感じさせます。
釈迦堂内部の重要文化財、阿弥陀如来像、法燈国師坐像も拝見できました。
両脇に掲げてある牌には(安国寺)恵瓊の文字を削った跡も。歴史の変転を感じさせられます。
狭い路地を通って小烏神社へ。
ここは観応の擾乱の時、鞆に来ていた足利直冬を杉原為平や宮兼信が追い落とした時の古戦場として有名です。
その後、平重盛創建と伝わる小松寺へ。
鞆合戦の時北朝方が布陣した場所としても有名ですが、現在はこじんまりとした寺です。
往時の大きかった寺域はなかなか想像できません。
昼食は眺めの良い鞆城跡で。対岸の四国までよく見え、ここからだと瀬戸内海を通行する船は全て見えます。
まさに瀬戸内海を制する要衝でした。
最後は大可島城址に立つ円福寺へ。足利直冬や、村上氏、南朝方等が中世本拠にした城址です。中世鞆を押える要でした。
ここから見る仙酔島の眺めは対潮楼に負けません。
ここから鞆についての説明もありましたが、医王寺の上の山は山城跡ではないかとの説もあるようです。
確かに何度も鞆は戦乱にあっていますので、住民の逃げ込み城はどこかにあったはずで、今後の調査が待たれます。
案内して頂いた大場さん、杉本部会長ありがとうございました。
https://bingo-history.net/archives/24536https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2020/11/IMG_7910-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2020/11/IMG_7910-150x100.jpg活動報告古くから瀬戸内海の要衝として鞆の浦、特に南北朝の動乱期にはたびたびその渦中の舞台となりました。 その鞆を南北朝期に思いをはせながら巡りました。 今日の案内役は中世史部会の大場和弘さん。快晴で気温も適度な絶好の探訪日和でした。 まず、柿もたわわな安国寺へ。釈迦堂と柿のコントラストが秋を感じさせます。 釈迦堂内部の重要文化財、阿弥陀如来像、法燈国師坐像も拝見できました。 両脇に掲げてある牌には(安国寺)恵瓊の文字を削った跡も。歴史の変転を感じさせられます。 狭い路地を通って小烏神社へ。 ここは観応の擾乱の時、鞆に来ていた足利直冬を杉原為平や宮兼信が追い落とした時の古戦場として有名です。 その後、平重盛創建と伝わる小松寺へ。 鞆合戦の時北朝方が布陣した場所としても有名ですが、現在はこじんまりとした寺です。 往時の大きかった寺域はなかなか想像できません。 昼食は眺めの良い鞆城跡で。対岸の四国までよく見え、ここからだと瀬戸内海を通行する船は全て見えます。 まさに瀬戸内海を制する要衝でした。 最後は大可島城址に立つ円福寺へ。足利直冬や、村上氏、南朝方等が中世本拠にした城址です。中世鞆を押える要でした。 ここから見る仙酔島の眺めは対潮楼に負けません。 ここから鞆についての説明もありましたが、医王寺の上の山は山城跡ではないかとの説もあるようです。 確かに何度も鞆は戦乱にあっていますので、住民の逃げ込み城はどこかにあったはずで、今後の調査が待たれます。 案内して頂いた大場さん、杉本部会長ありがとうございました。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会