父尾銀山を攻略せよ!11月18日【進め探検隊!】

福山市北部(新市町藤尾)の山中に位置した「父尾銀山」

かつては金が採掘され大変な賑わいであったという・・・こうした未知の遺跡を探す企画「進め探検隊!」第一弾ということで、調査団を組織し11月18日に坑道の探索を行ないました。

現地は林野庁が管理している国有林で、無断での入林はできませんのでご注意下さい。



午前8時半、有志13名が車に分乗して備後一宮吉備津神社を出発、藤尾ダム手前で車を下り、山に入りました。

集合場所の新市町吉備津彦神社から3台の車に分乗し山道を進むこと約20分で麓まで到着します。真っ盛りの紅葉に川のせせらぎが聞こえる綺麗なところです。
父尾銀山跡麓の紅葉

 

林道は車両進入禁止で徒歩で間歩へ
林道は車両進入禁止で徒歩で間歩へ

 

車を降り林道を歩きます。整備されておりとても歩きやすい道になっています。
父尾銀山跡に進む林道

 

が、しかし、ふと崖下を見渡すとそこかしこに不法投棄された洗濯機や冷蔵庫が…
不法投棄

 

林道を15分ほど登ったところから山に少し入ると第一の間歩へ
第一の間歩へ

 

新穴」と呼ばれる坑道跡がありました。
第一の間歩坑道

 

内部は竪穴と横穴の2手に分かれ、相当に深そうです。江戸時代の文献(小場家文書)に横穴を掘ったことが記載されていますが、この穴でしょうか?
坑道内部

 

のぞくと下に坑道が見えます

 

上の坑道は更に左右に分かれています

 

この坑道から山道を進みます。
坑道から山道を進みます

 

かつての道路の跡と思われる石垣があります。鉱山が盛んだった頃に使用されていたのでしょうか。
石垣

 

千人塚」と呼ばれる坑道がありました。ここからかつては金が採掘されていたとのこと。千人塚というのは、「父母惣社村松氏先祖の巻」によると、寛正二年(1461年)に山崩れにより74人が死んだことに由来するとか…
通称「千人坑」と呼ばれる間歩

 

千人塚

 

穴は土砂で半ば埋まっていますが、奥まで続いているようです。
千人塚坑道

 
 

ここから更に山の上を目指しますが、直接登れそうなところがないので一旦山道を降りて林道からアプローチします。

林道を登ると薄暗い檜林から見通しのよい斜面になります。こんなところに金が出た室町時代には4500戸もの家が連なっていたというから、驚きです。
父尾銀山跡からの遠景

 

再び山道に入り、笹を掻き分けて進みます。この周囲には「大根畠」と呼ばれる場所があり、一説には鉱夫の栄養補給に大根を作っていたとか…
父尾銀山跡山道

 

山の頂上付近に竪穴?がありました。
縦穴外観

 

この場所はちょうど千人塚の真上にあたりますので、ここから千人塚に繋がっているのかもしれません。
竪穴

 

以上で父尾銀山の位置は特定できましたが、竪穴から林道を挟んで反対の山に道標があるというので、見学に行きます。位置的にはかつての街道「野呂往還」から蛇円山へと続く道のようです。
野呂往還続く山道

 

道標がありました。
道標

 

道標には文字が刻んであります。割に新しいもののようです。「北山観世音」「延藤恒三郎」の文字が見えます。
道標アップ

 

ここで記念撮影をして帰路につきました
記念撮影

 

こうして父尾銀山の探索は無事終了。12:30に吉備津彦神社で解散しました。
吉備津彦神社駐車場

 

なお、今回測定した座標データは以下のとおりです。
(世界測地系10進数)

ポイント緯度経度
新穴34.626402133.286557
千人塚34.627961133.289073
竪穴34.628439133.290030

 
ちなみに、山道は整備されておらず、携帯が圏外の場所もあり、坑道は落ちると上がってくるのが困難そうだったりと、気軽に見学できる場所ではありませんので、ご注意ください。

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/11/12354cd9037d8bac3449d9713bc900ac.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/11/12354cd9037d8bac3449d9713bc900ac-150x100.jpg管理人活動報告報告,父尾銀山福山市北部(新市町藤尾)の山中に位置した「父尾銀山」 かつては金が採掘され大変な賑わいであったという・・・こうした未知の遺跡を探す企画「進め探検隊!」第一弾ということで、調査団を組織し11月18日に坑道の探索を行ないました。 現地は林野庁が管理している国有林で、無断での入林はできませんのでご注意下さい。 午前8時半、有志13名が車に分乗して備後一宮吉備津神社を出発、藤尾ダム手前で車を下り、山に入りました。 集合場所の新市町吉備津彦神社から3台の車に分乗し山道を進むこと約20分で麓まで到着します。真っ盛りの紅葉に川のせせらぎが聞こえる綺麗なところです。   林道は車両進入禁止で徒歩で間歩へ   車を降り林道を歩きます。整備されておりとても歩きやすい道になっています。   が、しかし、ふと崖下を見渡すとそこかしこに不法投棄された洗濯機や冷蔵庫が…   林道を15分ほど登ったところから山に少し入ると第一の間歩へ   「新穴」と呼ばれる坑道跡がありました。   内部は竪穴と横穴の2手に分かれ、相当に深そうです。江戸時代の文献(小場家文書)に横穴を掘ったことが記載されていますが、この穴でしょうか?       この坑道から山道を進みます。   かつての道路の跡と思われる石垣があります。鉱山が盛んだった頃に使用されていたのでしょうか。   「千人塚」と呼ばれる坑道がありました。ここからかつては金が採掘されていたとのこと。千人塚というのは、「父母惣社村松氏先祖の巻」によると、寛正二年(1461年)に山崩れにより74人が死んだことに由来するとか…     穴は土砂で半ば埋まっていますが、奥まで続いているようです。     ここから更に山の上を目指しますが、直接登れそうなところがないので一旦山道を降りて林道からアプローチします。 林道を登ると薄暗い檜林から見通しのよい斜面になります。こんなところに金が出た室町時代には4500戸もの家が連なっていたというから、驚きです。   再び山道に入り、笹を掻き分けて進みます。この周囲には「大根畠」と呼ばれる場所があり、一説には鉱夫の栄養補給に大根を作っていたとか…   山の頂上付近に竪穴?がありました。   この場所はちょうど千人塚の真上にあたりますので、ここから千人塚に繋がっているのかもしれません。   以上で父尾銀山の位置は特定できましたが、竪穴から林道を挟んで反対の山に道標があるというので、見学に行きます。位置的にはかつての街道「野呂往還」から蛇円山へと続く道のようです。   道標がありました。   道標には文字が刻んであります。割に新しいもののようです。「北山観世音」「延藤恒三郎」の文字が見えます。   ここで記念撮影をして帰路につきました   こうして父尾銀山の探索は無事終了。12:30に吉備津彦神社で解散しました。   なお、今回測定した座標データは以下のとおりです。 (世界測地系10進数) ポイント 緯度 経度 新穴 34.626402 133.286557 千人塚 34.627961 133.289073 竪穴 34.628439 133.290030   ちなみに、山道は整備されておらず、携帯が圏外の場所もあり、坑道は落ちると上がってくるのが困難そうだったりと、気軽に見学できる場所ではありませんので、ご注意ください。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い