河相彰丘氏篆刻・備陽史探訪の会の看板の謎

12月8日(土)、篆刻家として知られている河相彰丘さんが亡くなった。87歳であった。彰丘さんはご本名「博」さんといい。本業は建設業であった。30代で河相建設株式会社を創業され、社長を退任されてからは、趣味の篆刻三昧の日々であった。

今日、この話題をご紹介したのは、この方と備陽史探訪の会の意外な接点である。記念祝賀会など、よく出席されていたので顔なじみの方も多いと思うが、「接点」は「歴史」ではなく「篆刻」であった。

彰丘さんと田口会長は20年来のお知り合いで、実は会長宅の門柱に掲げられた「備陽史探訪の会事務局」の看板は彰丘さんの作品である。

備陽史探訪の会の看板

ところで、この看板の文字を良く見て欲しい。「探」の字の「つくり」が「ウ冠」になっているではないか…。会長に尋ねても、その意味は不明とのこと。「早く、そのわけを聞いておくべきだった」とは、会長の弁。この「つくり」が「ウ冠」の「探」が正しいのかどうか、ご存知の方がいらしたら教えていただきたい

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/kanban.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/kanban-150x100.jpg管理人事務局だより12月8日(土)、篆刻家として知られている河相彰丘さんが亡くなった。87歳であった。彰丘さんはご本名「博」さんといい。本業は建設業であった。30代で河相建設株式会社を創業され、社長を退任されてからは、趣味の篆刻三昧の日々であった。 今日、この話題をご紹介したのは、この方と備陽史探訪の会の意外な接点である。記念祝賀会など、よく出席されていたので顔なじみの方も多いと思うが、「接点」は「歴史」ではなく「篆刻」であった。 彰丘さんと田口会長は20年来のお知り合いで、実は会長宅の門柱に掲げられた「備陽史探訪の会事務局」の看板は彰丘さんの作品である。 ところで、この看板の文字を良く見て欲しい。「探」の字の「つくり」が「ウ冠」になっているではないか…。会長に尋ねても、その意味は不明とのこと。「早く、そのわけを聞いておくべきだった」とは、会長の弁。この「つくり」が「ウ冠」の「探」が正しいのかどうか、ご存知の方がいらしたら教えていただきたい。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い