鬼ノ城探訪―思い出アルバム―

備陽史探訪の会は昭和55年(1980)9月に設立され、今年で32年目になります。

当初5名の仲間でスタートしましたが、今では270名の会員と30の友好団体を持つ会となりました。

設立当初は「古代山城」に関心が高く、幻の山城といわれる備後常城、茨城を探索することに情熱を傾けていました。

今日紹介するスナップは、昭和58年(1983)1月23日、総社市の「鬼ノ城」を探索したときのものです。同城が古代山城と判明してわずか11年後のことで、各所に試掘のあとが見られる程度でした。講師は今は亡き七森氏で、写っている人物の中で現在も会員として在籍しているのは「会旗」を持つ人物だけです。この人物、さて誰でしょう?

「鬼ノ城」を探索

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/img_0-19-1024x683.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/img_0-19-150x100.jpg管理人事務局だより備陽史探訪の会は昭和55年(1980)9月に設立され、今年で32年目になります。 当初5名の仲間でスタートしましたが、今では270名の会員と30の友好団体を持つ会となりました。 設立当初は「古代山城」に関心が高く、幻の山城といわれる備後常城、茨城を探索することに情熱を傾けていました。 今日紹介するスナップは、昭和58年(1983)1月23日、総社市の「鬼ノ城」を探索したときのものです。同城が古代山城と判明してわずか11年後のことで、各所に試掘のあとが見られる程度でした。講師は今は亡き七森氏で、写っている人物の中で現在も会員として在籍しているのは「会旗」を持つ人物だけです。この人物、さて誰でしょう?備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い