埴輪をめぐる古墳社会(一)

備陽史探訪:186号」より

網本 善光

1.はじめに

今回は、埴輪のお話です。

埴輪は、古墳時代を代表する遺物です。そこで今回は、埴輪を見るときの着眼点や埴輪製作の技術の変化をご紹介します。また、円筒埴輪と同じく古墳時代に盛行した器材埴輪や人物・動物埴輪などの形象埴輪についてもお話しして、古墳時代における埴輪を使った祭祀についても考えてみようと思います。

そもそも埴輪は、古墳、とりわけ前方後円墳を代表とする首長墓クラスのお墓を飾るための道具として、弥生時代の祭祀具から創案されたと考えられています。

巨大な前方後円墳を幾重にも囲んで墓域を画するだけではなく、墳頂部に築かれた首長の眠る聖なる場所を示しました。さらには、儀礼の場面を表現したり、首長やその集団の財力を示す、といった効果もあったといわれます(若狭徹『はにわの世界』2009)。

そして、古墳の形状や性格が変化したことに連動して、埴輪そのあり方や性格も変わったとみられます。

2.埴輪の作り方

図一:埴輪製作の風景[
図一:埴輪製作の風景

埴輪の製作は、窯で焼くのか野焼きなのかという違いはありますが、基本的には①粘土づくり、②整形、③焼成、という工程をとります(若狭徹『はにわの世界』2009)。

このうち、①の粘土づくりですが、埴輪をつくるための粘土は丘の斜面や湿地の底から掘り出したものをストックして、これに砂をブレンドしてよく練り、空気を抜きます。

その後粘土は寝かせた上で粘りを出します。大きな古墳のために焼く埴輪のためにはトン単位の粘土が必要であったと考えられます。

②の整形が主な作業となります。

輪状にした粘土ひもを積み上げて、木の道具で形を整えたのちに、口縁部などは革を当てて仕上げます。

出来上がった埴輪は陰干しして乾燥させます。

そして、③の焼成です。

窯で焼く技術が広まるまでは、縄文土器以来の伝統的な焼成方法である野焼きで作られていました。

しかし、古墳時代の中期以降は窯で焼かれるようになりました。ひとつの窯には数十本しか入らないと考えられますから、複数の窯で何度も焼いて、埴輪を焼き上げました。

窯で焼いたかどうかは、埴輪の表面に黒斑(黒く焦げたように見える部分)があるかどうかでわかります。

野焼きの場合には、埴輪と埴輪の間に、木板やワラなどをいれますので、それらが焼けた跡が埴輪の表面に黒斑として残るのです。実は、こうした焼き方は土器の場合と同じですから、土師器(古墳時代の素焼きの土器)にも黒斑は見られます。

一方で、窯で焼いたものは須恵器と同じように黒斑が見られません。

3.円筒埴輪を観察するポイント

埴輪の作り方の特徴と変化は、とくに円筒埴輪によく見られます。

そこで、埴輪の観察には円筒埴輪の作り方の変化がポイントです(川西宏幸「円筒埴輪総論」1988)。

(1)器面の調整

粘土ひもを積み上げておおよその形を作った埴輪は、器面の凹凸を整えるために器面の調整を行います。

この器面調整には、タガをつける前の調整(一次調整)と、タガをつけた後の調整(二次調整)の二種類があります。

具体的な器面調整が、木板でなでる方法です。この技法をハケ調整といい、施す方向によって、タテハケ、ヨコハケがあります。

タテハケは、下から上に向けて施すハケ調整です。

ヨコハケには、以下の3種類のものがあります。

A種:断続的なヨコハケ。
円筒埴輪の周りを一周する間に、木板が埴輪の表面から二回以上離れるものです。
B種:継続的なヨコハケ。
木板を止めながら一周させるもので、止めた際の痕が縦の条線として残ります。
C種:連続的なヨコハケ。
木板が器面上で止まらないで、一気に全周するもので、ロクロを使ったと考えます。

ハケ調整以外には、ナデ調整、ケズリ調整などがあります。

ナデ調整は指を使って、ケズリ調整は鉄製刀子などを使って、粘土を削り取る手法です。

(2)底部調整

粘土ひもを積み上げて作る円筒埴輪ですが、古墳時代の後期には基部から口縁部まで一気にまきあげるようになります。この場合、軟弱な基部が埴輪自身の重みで変形しやすくなるので、底部調整とよばれる工夫が施されます。

具体的には、粘土ひも積み上げの最終段階で埴輪をさかさにして、底部付近を指ではさみこむもので、そのために底部付近はハケ調整が消えていることがあります。

(3)タガ

円筒埴輪の形が出来あがったら、タガ(突帯)をつけます。タガを付けた後に、さらにハケ調整が行われます。

(4)スカシ孔

円筒埴輪にはスカシ孔もあけられます。孔の形には円形、方形、三角形、巴形など各種あります。

4.円筒埴輪の編年

図二:各時期の埴輪の特徴と流行
図二:各時期の埴輪の特徴と流行

円筒埴輪は、これまで述べた製作技法の特長とその変化に着目して、Ⅰ~Ⅴ期区分されています。

まず、黒斑があるかどうか(野焼きか窯焼きか)が、大きな着眼点になります。それによって、Ⅰ~Ⅲ期とⅣ・Ⅴ期とに分けられます。

Ⅰ~Ⅲ期の円筒埴輪で、次に注目するのはヨコハケ調整です。

 また、タガの断面形も、Ⅰ・Ⅱ期のものが三方をしっかりと指ではさんでいるのに対して、Ⅱ~Ⅳ期には台形を呈し、Ⅴ期になると簡略化していくという傾向が見られます。

実年代は、Ⅰ期が3世紀後半から4世紀前葉、Ⅱ期が4世紀中葉、Ⅲ期が4世紀後葉、Ⅳ期が5世紀前葉から中葉、そして、Ⅴ期が5世紀後葉から6世紀と考えられています(廣瀬時習「知っとこ「埴輪」」『百舌鳥・古市大古墳群展』2009)。

埴輪をめぐる古墳社会(二)」に続く

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2015/10/amimoto1A.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2015/10/amimoto1A-150x100.jpg管理人古代史「備陽史探訪:186号」より 網本 善光 1.はじめに 今回は、埴輪のお話です。 埴輪は、古墳時代を代表する遺物です。そこで今回は、埴輪を見るときの着眼点や埴輪製作の技術の変化をご紹介します。また、円筒埴輪と同じく古墳時代に盛行した器材埴輪や人物・動物埴輪などの形象埴輪についてもお話しして、古墳時代における埴輪を使った祭祀についても考えてみようと思います。 そもそも埴輪は、古墳、とりわけ前方後円墳を代表とする首長墓クラスのお墓を飾るための道具として、弥生時代の祭祀具から創案されたと考えられています。 巨大な前方後円墳を幾重にも囲んで墓域を画するだけではなく、墳頂部に築かれた首長の眠る聖なる場所を示しました。さらには、儀礼の場面を表現したり、首長やその集団の財力を示す、といった効果もあったといわれます(若狭徹『はにわの世界』2009)。 そして、古墳の形状や性格が変化したことに連動して、埴輪そのあり方や性格も変わったとみられます。 2.埴輪の作り方 埴輪の製作は、窯で焼くのか野焼きなのかという違いはありますが、基本的には①粘土づくり、②整形、③焼成、という工程をとります(若狭徹『はにわの世界』2009)。 このうち、①の粘土づくりですが、埴輪をつくるための粘土は丘の斜面や湿地の底から掘り出したものをストックして、これに砂をブレンドしてよく練り、空気を抜きます。 その後粘土は寝かせた上で粘りを出します。大きな古墳のために焼く埴輪のためにはトン単位の粘土が必要であったと考えられます。 ②の整形が主な作業となります。 輪状にした粘土ひもを積み上げて、木の道具で形を整えたのちに、口縁部などは革を当てて仕上げます。 出来上がった埴輪は陰干しして乾燥させます。 そして、③の焼成です。 窯で焼く技術が広まるまでは、縄文土器以来の伝統的な焼成方法である野焼きで作られていました。 しかし、古墳時代の中期以降は窯で焼かれるようになりました。ひとつの窯には数十本しか入らないと考えられますから、複数の窯で何度も焼いて、埴輪を焼き上げました。 窯で焼いたかどうかは、埴輪の表面に黒斑(黒く焦げたように見える部分)があるかどうかでわかります。 野焼きの場合には、埴輪と埴輪の間に、木板やワラなどをいれますので、それらが焼けた跡が埴輪の表面に黒斑として残るのです。実は、こうした焼き方は土器の場合と同じですから、土師器(古墳時代の素焼きの土器)にも黒斑は見られます。 一方で、窯で焼いたものは須恵器と同じように黒斑が見られません。 3.円筒埴輪を観察するポイント 埴輪の作り方の特徴と変化は、とくに円筒埴輪によく見られます。 そこで、埴輪の観察には円筒埴輪の作り方の変化がポイントです(川西宏幸「円筒埴輪総論」1988)。 (1)器面の調整 粘土ひもを積み上げておおよその形を作った埴輪は、器面の凹凸を整えるために器面の調整を行います。 この器面調整には、タガをつける前の調整(一次調整)と、タガをつけた後の調整(二次調整)の二種類があります。 具体的な器面調整が、木板でなでる方法です。この技法をハケ調整といい、施す方向によって、タテハケ、ヨコハケがあります。 タテハケは、下から上に向けて施すハケ調整です。 ヨコハケには、以下の3種類のものがあります。 A種:断続的なヨコハケ。 円筒埴輪の周りを一周する間に、木板が埴輪の表面から二回以上離れるものです。 B種:継続的なヨコハケ。 木板を止めながら一周させるもので、止めた際の痕が縦の条線として残ります。 C種:連続的なヨコハケ。 木板が器面上で止まらないで、一気に全周するもので、ロクロを使ったと考えます。 ハケ調整以外には、ナデ調整、ケズリ調整などがあります。 ナデ調整は指を使って、ケズリ調整は鉄製刀子などを使って、粘土を削り取る手法です。 (2)底部調整 粘土ひもを積み上げて作る円筒埴輪ですが、古墳時代の後期には基部から口縁部まで一気にまきあげるようになります。この場合、軟弱な基部が埴輪自身の重みで変形しやすくなるので、底部調整とよばれる工夫が施されます。 具体的には、粘土ひも積み上げの最終段階で埴輪をさかさにして、底部付近を指ではさみこむもので、そのために底部付近はハケ調整が消えていることがあります。 (3)タガ 円筒埴輪の形が出来あがったら、タガ(突帯)をつけます。タガを付けた後に、さらにハケ調整が行われます。 (4)スカシ孔 円筒埴輪にはスカシ孔もあけられます。孔の形には円形、方形、三角形、巴形など各種あります。 4.円筒埴輪の編年 円筒埴輪は、これまで述べた製作技法の特長とその変化に着目して、Ⅰ~Ⅴ期区分されています。 まず、黒斑があるかどうか(野焼きか窯焼きか)が、大きな着眼点になります。それによって、Ⅰ~Ⅲ期とⅣ・Ⅴ期とに分けられます。 Ⅰ~Ⅲ期の円筒埴輪で、次に注目するのはヨコハケ調整です。  また、タガの断面形も、Ⅰ・Ⅱ期のものが三方をしっかりと指ではさんでいるのに対して、Ⅱ~Ⅳ期には台形を呈し、Ⅴ期になると簡略化していくという傾向が見られます。 実年代は、Ⅰ期が3世紀後半から4世紀前葉、Ⅱ期が4世紀中葉、Ⅲ期が4世紀後葉、Ⅳ期が5世紀前葉から中葉、そして、Ⅴ期が5世紀後葉から6世紀と考えられています(廣瀬時習「知っとこ「埴輪」」『百舌鳥・古市大古墳群展』2009)。 「埴輪をめぐる古墳社会(二)」に続く備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
備陽史探訪の会古代史部会では「大人の博物館教室」と題して定期的に勉強会を行っています。
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