埴輪をめぐる古墳社会(二)

備陽史探訪:188号」より

網本 善光

埴輪をめぐる古墳社会(一)」から続く

4.吉備地方の主な埴輪

それでは、吉備(後の備前・備中・備後・美作)地域の代表的な円筒埴輪を見てみましょう。

(1)Ⅰ期

吉備地域では、弥生時代の王墓に特殊器台・特殊壷と呼ばれる葬送用の特別な土器が祀られていました。

これが、円筒埴輪へと発達することがわかっており、古墳の成立にあたり、吉備の首長たちが強くかかわったことが推測できます。

備後地域では、神石高原町の辰の口古墳や福山市の尾の上古墳(図1)出土のものなどがこの時期だと考えます。

図1:尾の上古墳の埴輪
図1:尾の上古墳の埴輪

(2)Ⅱ期

Ⅱ期の埴輪の代表が、備前地域の岡山市金蔵山古墳出土のものです。

ヨコハケの2次調整が施されているのがわかります。

(3)Ⅲ期

この期を代表する埴輪は、備中地域の造山古墳です(図2)。

古墳の大規模化に伴って、築造数自体は少なくなる時期です。

図2:造山古墳出土の埴輪
図2:造山古墳出土の埴輪

(4)Ⅳ期

それまでの野焼きに替わり、窯により埴輪を焼き始める時期です。

備中地域では、作山古墳のものが代表的な埴輪です。広島県最大の古墳三つ城古墳(安芸)出土の埴輪もこの時期です。

(5)Ⅴ期

埴輪作成の省略化が進み、一気に粘土ひもを積み上げるようになるⅤ期になると、小規模古墳での埴輪の出土例が注目されます。

福山市の手坊谷2号墳や池の内2号墳、千田平ノ前古墳などの埴輪(図3)がこの時期のものです。

図3:千田平ノ前古墳出土の埴輪
図3:千田平ノ前古墳出土の埴輪

5.古墳における埴輪の配列

円筒埴輪や形象埴輪は、古墳の周囲に立てられた状態で出土します。

それでは、こうちた埴輪は古墳祭祀の中でどのような役割を持っていたのでしょうか。埴輪の配列に注目して、その性格を考えてみます。

円筒埴輪の配置を見てみると、古墳の裾部や格段の平坦部に並べられていることがわかります。

このことから、円筒埴輪には、古墳の領域を囲い込む機能があることがわかります。さらに、多重に取り囲むことによって、中心部をより重要視・神聖視していることも示しています。

次に、形象埴輪を含めて埴輪の配列を時代の移り変わりとともに見てみると次ように分類できます。

〇第1様式
古墳の周囲に円円筒埴輪のみが配列されたもの
〇第2様式
墳頂部に家形埴輪などの組み合わせを配置して埋葬部をより荘巌化させると共に、死後の居館を表現したもの
〇第3様式
作り出しなどに家形埴輪や動物埴輪などが並べられ、外の世界と死者の世界とを結ぶ祭祀表現のもの
◯第4様式
弟3様式の発展形と考えられる、人物埴輪や動物埴輪の組み合わせが古墳の内堤などにみられるもの

ここで注目すべきなのは、①円筒埴輪が特殊器台の系譜から生み出されたものであることや、②朝顔形埴輪などには供献の様子が象徴化されていると考えられることです。

ということは、埴輪は聖なる部分を取り込むと同時に、酒食を内容とする祭祀的な要素も兼ね備えているといえます。

こうした円筒埴輪のあり方に、形象埴輪の存在も加えると、こうした埴輪の配置は「首長権の継永儀礼」をあらわしたもの(水野正好「埴輪の配列」『季刊考古学』第20号)1987)と考えてよいと思います。

この「首長権継承儀礼」説のほかに、埴輪の性格については、王の死を確認するための「殯(もがり)」の様子とする説や、王の生前の姿を顕彰するものとする説、王が神を祭る様子を示したものとする説などがあります。

近年では、

埴輪群像は、時問や空問を超えた複数の場面が結合したものであり、そこには王が行う神祭り・狩猟などの権威的な諸儀礼、王が占有する権威や財力を秘めた事物が表され、それによって亡き王や集団の威勢を誇示したとする

若狭徹『はにわの世界』東京美術2009)説も有力です。

実は、これらの埴輪の樹立状況に示されるのは、古墳時代を通じての首長の権威の変化です。

もともと神聖なものとして認識された首長の権威に、家形埴輪に見られるような人間的なイメージが加わったこと。そして、多くの人物や事物が追加されることによって、権威のイメージがより具体的に見えるようになったのです。

その後、古墳時代後期になると、古墳が大量に築造されること、前方後円墳の築造が衰退することによって、権威の表現の必要性が薄れたため、埴輪は消滅してゆくのです。

6.おわリに

埴輪には、墓域の神聖性を確保する円筒埴輪のほかに、首長の権威を具体的に表現する形象埴輪があり、それらが相俟って古墳時代の首長像を私たちに伝えてくれます。

それだけではなくて、当時の風俗や建築様式など、さまざまなイメージを私たちに伝えてくれます。埴輪の研究は、編年というものさしが整備された現在、新しい段階に入っているといえます。

【参考文献】

【図出典】

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/02/amimot-1.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/02/amimot-1-150x100.jpg管理人古代史「備陽史探訪:188号」より 網本 善光 「埴輪をめぐる古墳社会(一)」から続く 4.吉備地方の主な埴輪 それでは、吉備(後の備前・備中・備後・美作)地域の代表的な円筒埴輪を見てみましょう。 (1)Ⅰ期 吉備地域では、弥生時代の王墓に特殊器台・特殊壷と呼ばれる葬送用の特別な土器が祀られていました。 これが、円筒埴輪へと発達することがわかっており、古墳の成立にあたり、吉備の首長たちが強くかかわったことが推測できます。 備後地域では、神石高原町の辰の口古墳や福山市の尾の上古墳(図1)出土のものなどがこの時期だと考えます。 (2)Ⅱ期 Ⅱ期の埴輪の代表が、備前地域の岡山市金蔵山古墳出土のものです。 ヨコハケの2次調整が施されているのがわかります。 (3)Ⅲ期 この期を代表する埴輪は、備中地域の造山古墳です(図2)。 古墳の大規模化に伴って、築造数自体は少なくなる時期です。 (4)Ⅳ期 それまでの野焼きに替わり、窯により埴輪を焼き始める時期です。 備中地域では、作山古墳のものが代表的な埴輪です。広島県最大の古墳三つ城古墳(安芸)出土の埴輪もこの時期です。 (5)Ⅴ期 埴輪作成の省略化が進み、一気に粘土ひもを積み上げるようになるⅤ期になると、小規模古墳での埴輪の出土例が注目されます。 福山市の手坊谷2号墳や池の内2号墳、千田平ノ前古墳などの埴輪(図3)がこの時期のものです。 5.古墳における埴輪の配列 円筒埴輪や形象埴輪は、古墳の周囲に立てられた状態で出土します。 それでは、こうちた埴輪は古墳祭祀の中でどのような役割を持っていたのでしょうか。埴輪の配列に注目して、その性格を考えてみます。 円筒埴輪の配置を見てみると、古墳の裾部や格段の平坦部に並べられていることがわかります。 このことから、円筒埴輪には、古墳の領域を囲い込む機能があることがわかります。さらに、多重に取り囲むことによって、中心部をより重要視・神聖視していることも示しています。 次に、形象埴輪を含めて埴輪の配列を時代の移り変わりとともに見てみると次ように分類できます。 〇第1様式 古墳の周囲に円円筒埴輪のみが配列されたもの 〇第2様式 墳頂部に家形埴輪などの組み合わせを配置して埋葬部をより荘巌化させると共に、死後の居館を表現したもの 〇第3様式 作り出しなどに家形埴輪や動物埴輪などが並べられ、外の世界と死者の世界とを結ぶ祭祀表現のもの ◯第4様式 弟3様式の発展形と考えられる、人物埴輪や動物埴輪の組み合わせが古墳の内堤などにみられるもの ここで注目すべきなのは、①円筒埴輪が特殊器台の系譜から生み出されたものであることや、②朝顔形埴輪などには供献の様子が象徴化されていると考えられることです。 ということは、埴輪は聖なる部分を取り込むと同時に、酒食を内容とする祭祀的な要素も兼ね備えているといえます。 こうした円筒埴輪のあり方に、形象埴輪の存在も加えると、こうした埴輪の配置は「首長権の継永儀礼」をあらわしたもの(水野正好「埴輪の配列」『季刊考古学』第20号)1987)と考えてよいと思います。 この「首長権継承儀礼」説のほかに、埴輪の性格については、王の死を確認するための「殯(もがり)」の様子とする説や、王の生前の姿を顕彰するものとする説、王が神を祭る様子を示したものとする説などがあります。 近年では、 埴輪群像は、時問や空問を超えた複数の場面が結合したものであり、そこには王が行う神祭り・狩猟などの権威的な諸儀礼、王が占有する権威や財力を秘めた事物が表され、それによって亡き王や集団の威勢を誇示したとする (若狭徹『はにわの世界』東京美術2009)説も有力です。 実は、これらの埴輪の樹立状況に示されるのは、古墳時代を通じての首長の権威の変化です。 もともと神聖なものとして認識された首長の権威に、家形埴輪に見られるような人間的なイメージが加わったこと。そして、多くの人物や事物が追加されることによって、権威のイメージがより具体的に見えるようになったのです。 その後、古墳時代後期になると、古墳が大量に築造されること、前方後円墳の築造が衰退することによって、権威の表現の必要性が薄れたため、埴輪は消滅してゆくのです。 6.おわリに 埴輪には、墓域の神聖性を確保する円筒埴輪のほかに、首長の権威を具体的に表現する形象埴輪があり、それらが相俟って古墳時代の首長像を私たちに伝えてくれます。 それだけではなくて、当時の風俗や建築様式など、さまざまなイメージを私たちに伝えてくれます。埴輪の研究は、編年というものさしが整備された現在、新しい段階に入っているといえます。 【参考文献】 大阪府立近つ飛鳥博物館『百舌鳥・古市大古墳群展』同博物館 2009 川西宏幸「円筒埴輪総論」『古墳時代政治史序説』塙書房 1988 若狭徹『はにわの世界』東京美術部 2009 【図出典】 図1:尾の上古墳出土埴輪(福山城博物館『ふくやまの古墳時代』同博物館 2005) 図2:造山古墳出土埴輪(葛腐克人・宇垣匡雅・扇崎由「埴輪」『吉備の考古学的研究(下)』山陽新聞社 1992) 図3:千田平ノ前古墳出土埴輪(福山市教育委員会『千田平ノ前古墳』同教委 2004)備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
備陽史探訪の会古代史部会では「大人の博物館教室」と題して定期的に勉強会を行っています。
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