「野々倉」の取材

本日午後、会長以下3名の会員で、消滅集落の一つ、駅家町服部本郷の野々倉について、地元の方の話を聞きました。

野々倉の現状(水田の跡)

野々倉の現状(水田の跡)

 

この集落はかつて3軒の農家があり、山仕事や農業で生計を立て、それなりに豊かに暮らされていたようです。昭和27年にやっと電灯が点き、それまではガス燈で暮らしていたようです。

集落の跡

集落の跡

昭和29年には既にテレビがあり、裕であったことの証明になります。今回の取材については後日、会報等で報告いたします。

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/05/img_1-6.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/05/img_1-6-150x100.jpg管理人事務局だより本日午後、会長以下3名の会員で、消滅集落の一つ、駅家町服部本郷の「野々倉」について、地元の方の話を聞きました。 野々倉の現状(水田の跡)   この集落はかつて3軒の農家があり、山仕事や農業で生計を立て、それなりに豊かに暮らされていたようです。昭和27年にやっと電灯が点き、それまではガス燈で暮らしていたようです。 集落の跡 昭和29年には既にテレビがあり、裕であったことの証明になります。今回の取材については後日、会報等で報告いたします。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い