2016年4月10日発行
帝釈峡
帝釈峡は比婆郡八幡村に源を発して相渡川・草木川の二川を併せ東城川に合する帝釈川の千万年の永き瞬時絶ゆる事なき侵食削磨の自然の作用に依て崖巌数百尺の探谷を作り、比婆郡帝釈村より神石郡永渡・新坂両村境に亙る延長五里の峡谷にして、備北山襞起伏の問に埋もれたるを以て極めて小数の文人墨客に知られたるのみなりしが、岩崎吃立の寄勝絶景たる此の大渓谷は、名勝地「帝釈の谷」として大正十一年三月七日内務省の指定する所となり、全面積百三十二町歩中八十八町歩は我が神石の地域に含まる。指定区域は帝釈村帝釈の市集上位数町の地鮎より永渡新坂両村を連ぬる水力電気大堰堤の下位数町の地鮎に亙る二里余にあれど、これに続ける下流一里余の勝景は寧ろ本峡の真価値を発揮し、名勝区外と雖も此の景勝を見ざれば決して帝釈峡の全幅を見たりと云ふべからず…
<目次>
- スケジュール
- 注意事項
- 『神石郡誌』抄録『神石郡誌』抄録
- 高子山城
- 帝釈峡遺跡群
- 辰の口古墳
- 矢不立城と宮氏
- 矢不立城と宮氏(2)
- 中世神石町の宮氏に関する一考察
- 周辺地図
https://bingo-history.net/archives/18008https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/07/354b228a0340cb30444b192e159960fe.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/07/354b228a0340cb30444b192e159960fe-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー2016年4月10日発行 帝釈峡 帝釈峡は比婆郡八幡村に源を発して相渡川・草木川の二川を併せ東城川に合する帝釈川の千万年の永き瞬時絶ゆる事なき侵食削磨の自然の作用に依て崖巌数百尺の探谷を作り、比婆郡帝釈村より神石郡永渡・新坂両村境に亙る延長五里の峡谷にして、備北山襞起伏の問に埋もれたるを以て極めて小数の文人墨客に知られたるのみなりしが、岩崎吃立の寄勝絶景たる此の大渓谷は、名勝地「帝釈の谷」として大正十一年三月七日内務省の指定する所となり、全面積百三十二町歩中八十八町歩は我が神石の地域に含まる。指定区域は帝釈村帝釈の市集上位数町の地鮎より永渡新坂両村を連ぬる水力電気大堰堤の下位数町の地鮎に亙る二里余にあれど、これに続ける下流一里余の勝景は寧ろ本峡の真価値を発揮し、名勝区外と雖も此の景勝を見ざれば決して帝釈峡の全幅を見たりと云ふべからず… <目次> スケジュール
注意事項
『神石郡誌』抄録『神石郡誌』抄録 永聖寺
帝釈峡
呉ヶ峠 高子山城
帝釈峡遺跡群
辰の口古墳
矢不立城と宮氏
矢不立城と宮氏(2)
中世神石町の宮氏に関する一考察 高光宮氏
高尾宮氏と田総氏 周辺地図 神の国「神石」に歴史のロマンを訪ねて管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会