6月3日【ぶら探訪】「田尻を歩く」に参加しました
神武天皇が東征の途中に数年間滞在したという、「吉備の高島」の比定地であり、また、水野勝成にまつわる史跡が残る田尻町をぶら探訪しました。
高島小学校脇に集合。会の最古参の一人である種本さんが今日の講師です。田口会長挨拶の後スタート。
水野藩の大船である大転輪丸は田尻に係留されていた。その纜石と座床の跡を見学。
勝成が治療に使ったと言われる岩風呂跡、風呂神社は現場が危険なため入り口で説明のみになりました。その後高島八幡神社へ。
神社は28mの高台にあり、一直線の長い階段で上ります。なかなかきつい登りですが…
そこからさらに山の頂上にある金鶏塚跡まで登りが続きます。でも眺めは鞆の仙酔島を見おろし、四国まで見えて見事の一言に尽きます。
その後、王ガ峰古墳を見学。現在まったく手入れがされていなく、講師が草刈りをされたそうです。みんな興味津々。
田尻の民俗資料館を見学後、解散となりました。
https://bingo-history.net/archives/17921https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/06/IMG_4815-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/06/IMG_4815-150x100.jpg活動報告神武天皇が東征の途中に数年間滞在したという、「吉備の高島」の比定地であり、また、水野勝成にまつわる史跡が残る田尻町をぶら探訪しました。 高島小学校脇に集合。会の最古参の一人である種本さんが今日の講師です。田口会長挨拶の後スタート。 水野藩の大船である大転輪丸は田尻に係留されていた。その纜石と座床の跡を見学。 勝成が治療に使ったと言われる岩風呂跡、風呂神社は現場が危険なため入り口で説明のみになりました。その後高島八幡神社へ。 神社は28mの高台にあり、一直線の長い階段で上ります。なかなかきつい登りですが… そこからさらに山の頂上にある金鶏塚跡まで登りが続きます。でも眺めは鞆の仙酔島を見おろし、四国まで見えて見事の一言に尽きます。 その後、王ガ峰古墳を見学。現在まったく手入れがされていなく、講師が草刈りをされたそうです。みんな興味津々。 田尻の民俗資料館を見学後、解散となりました。 Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会