豊松の史跡を訪ねて【報告】6月9日【バス例会】
6月9日、神石高原町豊松を訪ねるバス例会が行われました。
曇り空でしたが雨が降ることもなく、この時期にしては絶好の日和。50名の方が参加され大盛況でした。
出発地の福山駅北口からバスで走ること約1時間にある神石高原町。最初の訪問地「豊松文化財収蔵庫」です。
神石高原町職員の方と挨拶する田口会長
内部を特別に見学させて頂きました。内部は2階建てになっています。
収蔵庫にはこんなものも
文献や民俗資料など様々な文化財が展示してあります。管理者の方は謙遜されていましたが、収蔵物は参加者の皆様には好評でした。
続いて、収蔵庫の近くにある双子山古墳。なお、本当は「ふたご」は「子」を二つ並べた漢字です。
双子山古墳の石室。
この古墳は明治時代に考古学の権威、坪井正五郎氏により発掘されたそうです。
同じく収蔵庫の近くにある「鶴岡八幡宮」
拝殿です。
境内にある県指定天然記念物の樹齢640年を超える大杉…でしたが、1991年の台風で倒壊して根本だけになっています。
せっかくなので、豊松の市街地「四日市」を散策します。
かわいい子犬たちがいました。
続いて、県史跡「堂面洞窟遺跡」に向かいます。
昔はもっと地面が低く、簡単に中に入れたそうです。中には8畳ぐらいの空間や井戸のような穴があるそうです。
案内板。
次の目的地「米見山」に向かいますが…
バスが途中のカーブをギリギリで曲がることができません。
というわけで、徒歩で山を登ることになりました。
頂上に到着。
ここには紙ヒコーキタワーがあります。前日に恋人の聖地に認定されたことがTVで放送がされていたからか、大勢のひとで賑わっていました。
360度の素晴らしい眺望です。
ここで昼食。
午後は紙ヒコーキタワーの直下にある宝篋印塔を見学します。
この宝篋印塔は元々紙ヒコーキタワーの場所にあって、建設時に移設されたそうです。
説明する豊松出身の内樋さん。
米見山を降りて、「豊松別所城跡(恩が丸城)」に向かいます。正面の山が城跡です。
恩が丸城址の中世石塔群
多数の五輪塔があります。周囲に点在していたものを地元の方が集められたそうです。
豊松別所城跡(左)を後にして…
岡山県の県境近く、「長遠寺跡」に移動します。
非常に多数の五輪塔があります。殆どが「備中塔」と呼ばれる形式のものです。
次に廃校になった有木小学校を活用した「ビレッジハウス仁吾川」で少し休憩です。
玄関はステンドグラスで装飾されていたりと、かなりオシャレなつくり。
学校時代の資料も展示されています。ここは本来の目的地ではありませんでしたが、風情のある建物に今回の例会で最も好評でした。
ビレッジハウス仁吾川から徒歩で仁吾川発電所に向かいます。
歩くこと約2km…基本的に平坦地ですが、今回の最大の難所です。
谷間に発電所の建物が見えてきます。
到着。
「魚切の滝」も見えます。
見事な滝です。
ガラス越しに発電所内部が見えます。近年まで現役だったのですが、2005年に落雷で破損し修理が割に合わないので廃止されたそうです。ここも豊松文化財収蔵庫と並んで好評でした。
山際にはパイプがあります。
上流には発電所の取水堰があります。
最後の目的地、油屋にある天文19年の銘が残る備中塔に向かいます。
下見調査時は草木が生い茂り近付けませんでしたが…
中央2基の備中塔のうち、左側に年号が刻んであるらしいのですが、目視ではよくわかりませんでした。
備中塔を後にします。
三和道の駅で案内役の内樋さんと別れ、帰路につきました。
これにて神石高原町豊松の史跡を訪ねる例会は終了です。
https://bingo-history.net/archives/8248神石高原町豊松の史跡を訪ねてhttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/06/IMG_1431_R.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/06/IMG_1431_R-150x100.jpg活動報告豊松6月9日、神石高原町豊松を訪ねるバス例会が行われました。 曇り空でしたが雨が降ることもなく、この時期にしては絶好の日和。50名の方が参加され大盛況でした。 出発地の福山駅北口からバスで走ること約1時間にある神石高原町。最初の訪問地「豊松文化財収蔵庫」です。 神石高原町職員の方と挨拶する田口会長 内部を特別に見学させて頂きました。内部は2階建てになっています。 収蔵庫にはこんなものも 文献や民俗資料など様々な文化財が展示してあります。管理者の方は謙遜されていましたが、収蔵物は参加者の皆様には好評でした。 続いて、収蔵庫の近くにある双子山古墳。なお、本当は「ふたご」は「子」を二つ並べた漢字です。 双子山古墳の石室。 この古墳は明治時代に考古学の権威、坪井正五郎氏により発掘されたそうです。 同じく収蔵庫の近くにある「鶴岡八幡宮」 拝殿です。 境内にある県指定天然記念物の樹齢640年を超える大杉…でしたが、1991年の台風で倒壊して根本だけになっています。 せっかくなので、豊松の市街地「四日市」を散策します。 かわいい子犬たちがいました。 続いて、県史跡「堂面洞窟遺跡」に向かいます。 昔はもっと地面が低く、簡単に中に入れたそうです。中には8畳ぐらいの空間や井戸のような穴があるそうです。 案内板。 次の目的地「米見山」に向かいますが… バスが途中のカーブをギリギリで曲がることができません。 というわけで、徒歩で山を登ることになりました。 頂上に到着。 ここには紙ヒコーキタワーがあります。前日に恋人の聖地に認定されたことがTVで放送がされていたからか、大勢のひとで賑わっていました。 360度の素晴らしい眺望です。 ここで昼食。 午後は紙ヒコーキタワーの直下にある宝篋印塔を見学します。 この宝篋印塔は元々紙ヒコーキタワーの場所にあって、建設時に移設されたそうです。 説明する豊松出身の内樋さん。 米見山を降りて、「豊松別所城跡(恩が丸城)」に向かいます。正面の山が城跡です。 恩が丸城址の中世石塔群 多数の五輪塔があります。周囲に点在していたものを地元の方が集められたそうです。 豊松別所城跡(左)を後にして… 岡山県の県境近く、「長遠寺跡」に移動します。 非常に多数の五輪塔があります。殆どが「備中塔」と呼ばれる形式のものです。 次に廃校になった有木小学校を活用した「ビレッジハウス仁吾川」で少し休憩です。 玄関はステンドグラスで装飾されていたりと、かなりオシャレなつくり。 学校時代の資料も展示されています。ここは本来の目的地ではありませんでしたが、風情のある建物に今回の例会で最も好評でした。 ビレッジハウス仁吾川から徒歩で仁吾川発電所に向かいます。 歩くこと約2km…基本的に平坦地ですが、今回の最大の難所です。 谷間に発電所の建物が見えてきます。 到着。 「魚切の滝」も見えます。 見事な滝です。 ガラス越しに発電所内部が見えます。近年まで現役だったのですが、2005年に落雷で破損し修理が割に合わないので廃止されたそうです。ここも豊松文化財収蔵庫と並んで好評でした。 山際にはパイプがあります。 上流には発電所の取水堰があります。 最後の目的地、油屋にある天文19年の銘が残る備中塔に向かいます。 下見調査時は草木が生い茂り近付けませんでしたが… 中央2基の備中塔のうち、左側に年号が刻んであるらしいのですが、目視ではよくわかりませんでした。 備中塔を後にします。 三和道の駅で案内役の内樋さんと別れ、帰路につきました。 これにて神石高原町豊松の史跡を訪ねる例会は終了です。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会