福山城下町誕生の起点―城北を歩く―【報告】11月25日【徒歩例会】

徒歩例会「福山城下町誕生の起点―城北を歩く―」が実施されました。

天気にも恵まれ、紅葉の色づく中で福山城から北側~東側のかけての様々な城下町の足跡を訪ね歩く密度の濃い例会となりました。

9:30に福山駅北口噴水前に集合。50名を越す方が参加されました。
集合

 

東内堀跡や藩主の居館(御屋形)についての説明の後、三の丸東側から福山城二の丸へと登ります。
東坂口門

 

二の丸東側の水野勝成像。
水野勝成像

 

二の丸を南へと進み、月見櫓の下へ。この辺りはかつて田中製紙創業者、田中八九郎の土地で桜の名所になっていました。
月見櫓下

 

鉄筋御門~伏見櫓下を通って御御台所門下まで来ます。ここには阿部正弘像があります。
御台所門下

 

続いて、二の丸からかつて長州軍と福山藩との戦闘があった小丸山、城下から移築された侍屋敷の門などを見ながら、北側まで回ります。
天守北側

 

二の丸北側では、移設された天守台や五千石蔵跡などの説明の後、福寿会館の庭を通って、三蔵稲荷を見ます。ここでは宮司さんに三蔵稲荷の建物や能舞台の由来についての話を伺いました。
三蔵稲荷

 

三蔵稲荷を降りてかつての上水道の取水口や福山護国神社についての説明を聞きました。
福山城北用水路

 

昼休憩はふくやま市民交流館の会議室。会議室での昼食は微妙に落ち着かない感じです(笑)
ふくやま市民交流館

 

午後から福山城防御のために幕末に設置された胸壁やかつての勇鷹神社の門「赤門」などを見学します。
赤門

 

次に上水道の沈殿池であった蓮池を通り、吉津町へと向かいます。
蓮池

 

福山八幡宮では、その由来などについて説明を聞きつつ水野勝成を祀る聰敏神社などを見学。
福山八幡宮

 

福山八幡宮から観音寺へと向かいます。
観音寺

 

県重要文化財の観音寺本堂。ちょっと時間が押し気味になってきて、この辺からペースアップ…
観音寺本堂

 

そして二代藩主勝俊の菩提寺である妙政寺を見学。
妙政寺

 

妙政寺境内には水野勝俊の位牌堂があります。
水野勝俊廟

 

妙政寺から北に進むと、水野勝俊の墓所があります。周囲には勝俊に殉死した家臣の墓が並びます。
水野勝俊墓

 

妙政寺の南にはかつての上水道の樋門が残っています。
樋門

 

樋門から東に進むと番所跡と伝わる神社があります。この後実相寺を見学する予定でしたが、時間がなくなりキャンセルに…
番所跡

 

というわけで、今回の目玉のひとつ胎蔵寺に到着。
胎蔵寺

 

胎蔵寺釈迦如来坐像。元は常興禅寺の本尊で、近年この仏像から発見された胎内文書によって不明であった中世福山の歴史が明らかになりました。
胎蔵寺本尊

 

この段階で今回の終了予定時刻になっていましたが…かつての福山城下北側の入口であった総門跡を見学。
総門跡

 

文字通り駆け足で、町人町の痕跡を訪ね歩きます。
城下町

 

駐車場に福山城三の丸の石垣が埋もれています。
外堀石垣

 

北御門跡の石垣を経て福山城北口の三の丸石垣について説明があり…
福山駅北口石垣

 

予定時間を40分もオーバーしましたが、なんとか終了です。おつかれさまでした。
解散

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/11/86e26a60bc5b77ff9d0e503835f33927.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/11/86e26a60bc5b77ff9d0e503835f33927-150x100.jpg管理人活動報告報告,徒歩例会徒歩例会「福山城下町誕生の起点―城北を歩く―」が実施されました。 天気にも恵まれ、紅葉の色づく中で福山城から北側~東側のかけての様々な城下町の足跡を訪ね歩く密度の濃い例会となりました。 9:30に福山駅北口噴水前に集合。50名を越す方が参加されました。   東内堀跡や藩主の居館(御屋形)についての説明の後、三の丸東側から福山城二の丸へと登ります。   二の丸東側の水野勝成像。   二の丸を南へと進み、月見櫓の下へ。この辺りはかつて田中製紙創業者、田中八九郎の土地で桜の名所になっていました。   鉄筋御門~伏見櫓下を通って御御台所門下まで来ます。ここには阿部正弘像があります。   続いて、二の丸からかつて長州軍と福山藩との戦闘があった小丸山、城下から移築された侍屋敷の門などを見ながら、北側まで回ります。   二の丸北側では、移設された天守台や五千石蔵跡などの説明の後、福寿会館の庭を通って、三蔵稲荷を見ます。ここでは宮司さんに三蔵稲荷の建物や能舞台の由来についての話を伺いました。   三蔵稲荷を降りてかつての上水道の取水口や福山護国神社についての説明を聞きました。   昼休憩はふくやま市民交流館の会議室。会議室での昼食は微妙に落ち着かない感じです(笑)   午後から福山城防御のために幕末に設置された胸壁やかつての勇鷹神社の門「赤門」などを見学します。   次に上水道の沈殿池であった蓮池を通り、吉津町へと向かいます。   福山八幡宮では、その由来などについて説明を聞きつつ水野勝成を祀る聰敏神社などを見学。   福山八幡宮から観音寺へと向かいます。   県重要文化財の観音寺本堂。ちょっと時間が押し気味になってきて、この辺からペースアップ…   そして二代藩主勝俊の菩提寺である妙政寺を見学。   妙政寺境内には水野勝俊の位牌堂があります。   妙政寺から北に進むと、水野勝俊の墓所があります。周囲には勝俊に殉死した家臣の墓が並びます。   妙政寺の南にはかつての上水道の樋門が残っています。   樋門から東に進むと番所跡と伝わる神社があります。この後実相寺を見学する予定でしたが、時間がなくなりキャンセルに…   というわけで、今回の目玉のひとつ胎蔵寺に到着。   胎蔵寺釈迦如来坐像。元は常興禅寺の本尊で、近年この仏像から発見された胎内文書によって不明であった中世福山の歴史が明らかになりました。   この段階で今回の終了予定時刻になっていましたが…かつての福山城下北側の入口であった総門跡を見学。   文字通り駆け足で、町人町の痕跡を訪ね歩きます。   駐車場に福山城三の丸の石垣が埋もれています。   北御門跡の石垣を経て福山城北口の三の丸石垣について説明があり…   予定時間を40分もオーバーしましたが、なんとか終了です。おつかれさまでした。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い