神辺町八尋 小山遺跡は前方後円墳か

備陽史探訪:202号」より

田口 義之

去る4月20日、福山市神辺町八尋の小山遺跡の実測調査を実施した。同遺跡は、神辺町八尋の平野中に孤立した比高10mほどの丘陵で、上部が削平され、その北端がやや隆起し、宇賀魂神社が鎮座している。2月に竹尋学区の皆さんと和名木城跡を調査した帰り道、遺跡かもしれないので見て欲しいと言う要望を受け、訪ねてみると、小丘上が人工的に削平され、中世城館跡の可能性を認めたため、改めて同日、学区の皆さんと実測調査を行ったものである。

詳細は後日発表する予定であるが、調査の報告のため、国土地理院が公開している航空写真を検討したところ、前方後円墳の可能性が浮かんできたので報告し、識者の検討を仰ぎたい。

問題の航空写真は、1961年5月6日、上空1900mから撮影されたもので、小山遺跡の東南に巾40mほどの「前方部」の痕跡が認められた(図1)。更に、小山遺跡の周囲は巾20mほどの周濠の痕跡のような地割が確認され、小山遺跡の丘を後円部とすると、後円部直径約50m、前方部長さ推定60m、全長推定110mの前方後円墳が復元できる。

現在地表には、後円部と考えられる小山遺跡周辺の巾20m前後の帯状の地割しか認められないが、1966年、1970年の航空写真にも僅かに痕跡が認められ、最新の2013年6月の航空写真(カラー)にも色の濃淡でかすかにその痕跡を認めることが出来る(図2)。

果たして、この前方後円形の地割が古墳かどうか、今後の調査に期待したい。

ここまで来て雨模様の空から静かに雨が降ってきた。民家の庭には大きな鉢にあやめが一株、雨を待っていたかのように咲いていた。     

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2025/09/hikino.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2025/09/hikino-150x100.jpg管理人古代史「備陽史探訪:202号」より 田口 義之 去る4月20日、福山市神辺町八尋の小山遺跡の実測調査を実施した。同遺跡は、神辺町八尋の平野中に孤立した比高10mほどの丘陵で、上部が削平され、その北端がやや隆起し、宇賀魂神社が鎮座している。2月に竹尋学区の皆さんと和名木城跡を調査した帰り道、遺跡かもしれないので見て欲しいと言う要望を受け、訪ねてみると、小丘上が人工的に削平され、中世城館跡の可能性を認めたため、改めて同日、学区の皆さんと実測調査を行ったものである。 詳細は後日発表する予定であるが、調査の報告のため、国土地理院が公開している航空写真を検討したところ、前方後円墳の可能性が浮かんできたので報告し、識者の検討を仰ぎたい。 問題の航空写真は、1961年5月6日、上空1900mから撮影されたもので、小山遺跡の東南に巾40mほどの「前方部」の痕跡が認められた(図1)。更に、小山遺跡の周囲は巾20mほどの周濠の痕跡のような地割が確認され、小山遺跡の丘を後円部とすると、後円部直径約50m、前方部長さ推定60m、全長推定110mの前方後円墳が復元できる。 現在地表には、後円部と考えられる小山遺跡周辺の巾20m前後の帯状の地割しか認められないが、1966年、1970年の航空写真にも僅かに痕跡が認められ、最新の2013年6月の航空写真(カラー)にも色の濃淡でかすかにその痕跡を認めることが出来る(図2)。 果たして、この前方後円形の地割が古墳かどうか、今後の調査に期待したい。 ここまで来て雨模様の空から静かに雨が降ってきた。民家の庭には大きな鉢にあやめが一株、雨を待っていたかのように咲いていた。     備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
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