11月4日【ぶら探訪】備中・備後の国境に「滝山城」を訪ねる 開催
備中・備後国境の滝山城とその周辺の史跡を訪ねました。滝山城は国境の山陽道を見下ろす要衝にあり、中世には上野介系の宮氏が、神辺城落城の後は毛利系の武将が居城したと伝わり、それに伴う合戦の伝承もある見所の多い場所でもあります。
https://bingo-history.net/archives/28446https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/11/DSCN0723-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/11/DSCN0723-150x100.jpg活動報告備中・備後国境の滝山城とその周辺の史跡を訪ねました。滝山城は国境の山陽道を見下ろす要衝にあり、中世には上野介系の宮氏が、神辺城落城の後は毛利系の武将が居城したと伝わり、それに伴う合戦の伝承もある見所の多い場所でもあります。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会高屋の駅前に集合。講師の原田さんの説明の後、井原市文化財センターの首藤ゆきえ主任研究員の案内で出発。天候は曇りで絶好のコンデション。
天満塚古墳で。墳丘は失われ天満宮として使われていたようですが、現在残っている石室でも奥行き6mとかなり大きな古墳であったと思われます。
頭塚(こうべづか・こうべい様)で。合戦の死者を祀ったと言われる。横穴式石室の流用とも言われる。
滝山城前の鞍部には堀切は確認されていない。
滝山城主郭にはあちこち石垣が残っています。銀山城のものより大きい様な気がします。
主郭はかなり広い平坦地となっています。
それにしても秋の山里のウォーキングは快適です。
滝山合戦(城方の宍戸孫六郎と藤井皓玄との合戦)のあった場所で。宍戸孫六郎は討死したと伝わる。
ここは眺めの良い場所で幕山まで見えます。
八つ墓村を彷彿とさせる五輪塔群。数では八つ墓村を凌駕します。合戦の死者を弔った墓が埋もれていたものが、農道建設の時に掘り出され、ここに祀られたもの。
ここも眺めの良いところで、快適なぶら探訪が楽しめました。