2012年4月28日発行
「備陽六郡志」草戸村
往昔、芦田郡、安那郡辺りまで海にてありし節、本庄村、青木か端の辺りより五本松の前までの中島に、草戸千軒という町有けるか、水野の家臣上田玄蕃、江戸の町人に新涯を築かせける。水野外記という者いひけるは、この川筋に新涯を築きては、本庄村の土手の障りと成るへしと、固く留めけれとも、止むことを得ずして新涯を築、江戸新涯という。その後寛文一三年洪水の節、下知して、青木かはなの向かいなる土手を切ければ、たちまち水押し入り、千軒の町家とも押し流しぬ。この時より山下に民家建ち並び、中島には家一軒もなし…
<目次>
- 主な見どころ
- 旧芦田川の流路・堤防・鷹取橋欄干
- 地吹荒神社
- 新四国八十八箇所(万延元年に設置されたもの)
- 昭和20年代の地形図
- 明治30年の地形図
- 古記録拾遺
- 「水野家御時代咄伝聞伝留書」
- 「備陽六郡志」
- 「福山志料」深津郡野上村
https://bingo-history.net/archives/4794https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/07/7b4f5d2a3304126f65be26b4e4e320d5.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/07/7b4f5d2a3304126f65be26b4e4e320d5-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー2012年4月28日発行 「備陽六郡志」草戸村 往昔、芦田郡、安那郡辺りまで海にてありし節、本庄村、青木か端の辺りより五本松の前までの中島に、草戸千軒という町有けるか、水野の家臣上田玄蕃、江戸の町人に新涯を築かせける。水野外記という者いひけるは、この川筋に新涯を築きては、本庄村の土手の障りと成るへしと、固く留めけれとも、止むことを得ずして新涯を築、江戸新涯という。その後寛文一三年洪水の節、下知して、青木かはなの向かいなる土手を切ければ、たちまち水押し入り、千軒の町家とも押し流しぬ。この時より山下に民家建ち並び、中島には家一軒もなし… <目次> 主な見どころ 旧芦田川の流路・堤防・鷹取橋欄干
地吹荒神社
新四国八十八箇所(万延元年に設置されたもの) 昭和20年代の地形図
明治30年の地形図
古記録拾遺 「水野家御時代咄伝聞伝留書」
「備陽六郡志」
「福山志料」深津郡野上村 ぶら探訪③レジメ管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会