「備陽史探訪:157号」より
三好 勝芳
引野には、江戸時代安永三年といわれているが、西国三十三観音の石仏が、長崎から皿山宮の谷、沖浦、長浜、宅部、不動里、山之上横畦、竹之内、古地、高屋、内田、梅ノ木前古屋、そして梶島山に祀られている。
その内、今回は梶島山西に祀られている西国観音第三十二番札所緻山観音正寺の石仏(施主太田氏)と併存で祀られており、その祀られている位置はコンクリートブロツクの建物(昭和五十四年九月)の中心に祀られている首無地蔵菩薩についての話である。
この地蔵菩薩が現在祀られている場所は、江戸時代元禄初年(一六九〇年代)に福山賢忠寺の四代目の住職であった覚梅和尚が岩竹山普門庵と云う庵をむすんでいた地とされている。その跡地の北端に、木造瓦葺きの祠が建てられ、普門庵に祀られていたと思われる地蔵菩薩が、その中に祀られた。
この地蔵菩薩は砂岩で造られており、花商岩で造られた石塔の経巻の部分と思われる経文が彫られた角柱を台石として祀られている。この状態について、天明六年午仲秋十五日の記載のある「石書、大般若理趣分塔」と書かれた石柱がすぐ右側に立てられている。
この地蔵菩薩が、木造の建物に祀られていた頃の昭和二十年八月には、頭のある完全な姿であったが、その年末には、砂岩の地蔵が北側に転倒し首が折れて頭部が離れ、胴体の横に転がっていた。
当時、この地蔵様の辺りは、子供の遊び場になっており、地蔵様の胴体は石台の上に安置されたが、首頭部が見付からなくなり、首無地蔵として、六十五年以上の歳月が過ぎ今日に至っていた。
ところが、この普門庵跡の広場から西方真下にある大田家の墓地が整備された時、(平成十四年三月)砂岩で出来た地蔵の首部が見付かっていたことを大田家から知らされ、この度(平成二十二年四月)返還された。それも太田家の観音堂と云われている梶島山の文化財が雨漏れしているので修理しなければならない旨、大田家に話したところ地元へ委託済であり、地元での管理を改めて委託され、それと同時に地蔵様の首部の話があった。早速、専門家にも相談し、首有地蔵に修理して、本来の地蔵様に戻してあげたいと思う。
仏縁の不思議さを改めて感じ、この拙文を書き残すことにした。
https://bingo-history.net/archives/12458https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/02/232e14cc1ff6d5352d510e0a7690b615.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/02/232e14cc1ff6d5352d510e0a7690b615-150x100.jpg管理人近世近代史「備陽史探訪:157号」より
三好 勝芳 引野には、江戸時代安永三年といわれているが、西国三十三観音の石仏が、長崎から皿山宮の谷、沖浦、長浜、宅部、不動里、山之上横畦、竹之内、古地、高屋、内田、梅ノ木前古屋、そして梶島山に祀られている。 その内、今回は梶島山西に祀られている西国観音第三十二番札所緻山観音正寺の石仏(施主太田氏)と併存で祀られており、その祀られている位置はコンクリートブロツクの建物(昭和五十四年九月)の中心に祀られている首無地蔵菩薩についての話である。 この地蔵菩薩が現在祀られている場所は、江戸時代元禄初年(一六九〇年代)に福山賢忠寺の四代目の住職であった覚梅和尚が岩竹山普門庵と云う庵をむすんでいた地とされている。その跡地の北端に、木造瓦葺きの祠が建てられ、普門庵に祀られていたと思われる地蔵菩薩が、その中に祀られた。 この地蔵菩薩は砂岩で造られており、花商岩で造られた石塔の経巻の部分と思われる経文が彫られた角柱を台石として祀られている。この状態について、天明六年午仲秋十五日の記載のある「石書、大般若理趣分塔」と書かれた石柱がすぐ右側に立てられている。 この地蔵菩薩が、木造の建物に祀られていた頃の昭和二十年八月には、頭のある完全な姿であったが、その年末には、砂岩の地蔵が北側に転倒し首が折れて頭部が離れ、胴体の横に転がっていた。 当時、この地蔵様の辺りは、子供の遊び場になっており、地蔵様の胴体は石台の上に安置されたが、首頭部が見付からなくなり、首無地蔵として、六十五年以上の歳月が過ぎ今日に至っていた。 ところが、この普門庵跡の広場から西方真下にある大田家の墓地が整備された時、(平成十四年三月)砂岩で出来た地蔵の首部が見付かっていたことを大田家から知らされ、この度(平成二十二年四月)返還された。それも太田家の観音堂と云われている梶島山の文化財が雨漏れしているので修理しなければならない旨、大田家に話したところ地元へ委託済であり、地元での管理を改めて委託され、それと同時に地蔵様の首部の話があった。早速、専門家にも相談し、首有地蔵に修理して、本来の地蔵様に戻してあげたいと思う。 仏縁の不思議さを改めて感じ、この拙文を書き残すことにした。 管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会
備陽史探訪の会近世近代史部会では「近世福山の歴史を学ぶ」と題した定期的な勉強会を行っています。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
近世福山の歴史を学ぶ