沼隈半島の歴史を訪ねて(神村町~藤江町)

2003年6月1日発行

沼隈半島の歴史を訪ねて
神村町

「神村」と書いて「かむら」と読みます。『沼隈郡誌』等によりますと、町名の起源は『倭姫世紀』に見える吉備名方の浜宮に由来すると伝えます。すなわち、現在伊勢神宮にお祭りされている天照大神は、初め宮中に奉斎されていましたが、崇神天皇の時代に宮外にお移しすることになりました。

そして、伊勢に鎮座される前四年間程滞在された「吉備名方の浜宮」の故地こそ同地の鏡山で、神村の地名はこの故事に由来すると言うのです。

話や伝説は別として、神村の地は古くから開けた地域です。町内の南東部にあたる字松本には全長五〇メートルに達する帆立貝式前方後円墳「松本古墳」が存在し、中央部の羽原川流域には点々と横穴式石室が分布し、古代豪族の活躍を物語っています…


<目次>

  • スケジュール
  • 例会のルール
  • 神村町
    • 今伊勢内宮外宮
  • 松永町
    • 県史跡本庄重政墓
    • 本庄杢左衛門重政
  • 柳津町
    • 馬取貝塚
    • 下迫貝塚
  • 金江町
    • 『西備名区』藁江村
  • 金江町金見
    • 金江の大ムロノキ
  • 藤江町
    • 山路機谷
    • 満越遺跡 ―古代海部族と製塩―
    • 宝田院
    • 九州探題渋川氏
    • 盤台寺
    • 唐樋門
    • 長谷川新右衛門
    • 青年の父山本滝之助
  • 沼隈半島史跡地図
  • メモ
  • 真宗明光派の絵系図
https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/08/5575186199e282492a63e09f42e1ef0a.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/08/5575186199e282492a63e09f42e1ef0a-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー沼隈半島2003年6月1日発行 神村町 「神村」と書いて「かむら」と読みます。『沼隈郡誌』等によりますと、町名の起源は『倭姫世紀』に見える吉備名方の浜宮に由来すると伝えます。すなわち、現在伊勢神宮にお祭りされている天照大神は、初め宮中に奉斎されていましたが、崇神天皇の時代に宮外にお移しすることになりました。 そして、伊勢に鎮座される前四年間程滞在された「吉備名方の浜宮」の故地こそ同地の鏡山で、神村の地名はこの故事に由来すると言うのです。 話や伝説は別として、神村の地は古くから開けた地域です。町内の南東部にあたる字松本には全長五〇メートルに達する帆立貝式前方後円墳「松本古墳」が存在し、中央部の羽原川流域には点々と横穴式石室が分布し、古代豪族の活躍を物語っています… <目次> スケジュール 例会のルール 神村町 今伊勢内宮外宮 松永町 県史跡本庄重政墓 本庄杢左衛門重政 柳津町 馬取貝塚 下迫貝塚 金江町 『西備名区』藁江村 金江町金見 金江の大ムロノキ 藤江町 山路機谷 満越遺跡 ―古代海部族と製塩― 宝田院 九州探題渋川氏 盤台寺 唐樋門 長谷川新右衛門 青年の父山本滝之助 沼隈半島史跡地図 メモ 真宗明光派の絵系図 沼隈半島の歴史を訪ねて備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い