2012年04月01日

草戸山城跡について(福山市草戸町松茸山)

備陽史探訪:165号」より

田口 義之

ここのところ縁があって、草戸町の声田川西岸「川西地区」を足繁く訪れている。地元有志の方で「草戸川西街道」という地域史再発掘のグループが立ち上がり、指導に招かれたためだ。そんな中で、問題となったのは「中山城跡」の所在地である。

県の報告書では、草戸山南端の小さな丘が城跡の所在地となっており、簡単な縄張り図が紹介されている。ところが、この城跡に関しては異論もあった。それより小さな峠を挟んで北の山にも「曲輪」の跡らしき平坦地が存在し、更に半坂の今は土砂採取で取り崩された、近藤氏の居城とされた城跡がそれだとする説もあった。私も以前、松永の郷土史家藤井高一郎氏と踏査した際に、草戸山から東南に伸びた尾根に、曲輪跡が連続に連なるのを見た記憶があった。

そこで、昨年十一月半ば、尾根を縦走して城跡を確認することとなった。すると、登りはじめて30分ぐらい経った辺りから、曲輪状の平坦地が見え始めた。さらに、十二月一五日、改めて確認のために登ってみると、草戸山山頂の通称「松茸山」から南に三百メートルほど下りたところに、山城の遺構を確認することができた。そこは標高百四メートルの小さな山頂で、径二〇メートルの楕円形の曲輪跡が残り、周囲に明確な「切岸」が確認できた。更にそこから北に二〇メートル下りたところに井戸跡と、数段の曲輪跡が残っている。これはもう中世の山城跡に間違いない。

問題は、この新たに確認された山城跡が「中山城」の遺跡かどうかである。調べてみると、中山城の名が登場するのは大正末期の『沼隈郡誌』らしい。それより古い『備陽六郡志』や『福山志料』は草戸村の古城跡として「鷹取城」(これは平城だ)を書き上げているのみで、山城跡については『西備名区』に「草戸山城」と「半坂山城」の記載があるのみであった。半坂山城は既に破壊された近藤氏の城跡だから、残る「草戸山城」が今回確認された城跡ということになる。

思うに、明王院裏山の草戸山に築かれた山城は、今まで中山城とされていた南端の城跡を含めて、一つの城とした方が良いのではなかろうか。その場合、今回確認された城跡はその本城と見て差し支えない。草戸山城跡として紹介する所以である。現在、この城跡は看板や遊歩道の設置など、地元の皆さんの手で整備が進められている。是非、一度訪ねてもらいたい。

草戸山城跡略測図

 

【草戸山城跡】