2013年7月6日発行
旧「阿部正弘像」
大正11年(1922年)に阿部正弘を顕彰するため福山市民有志により建立される。建設費は5万円で全額寄付により賄われた。像は高さ14尺(約4.24m)、原型は新進気鋭の彫刻家「武石弘三郎」により製作される。台座は関西建築界の父と言われる福山出身の建築家「武田五一」により設計されたもの。太平洋戦争時の戦時供出で像と銘板が撤去される…
<目次>
- 東側から見たかつての福山城
- 本丸の構成
- 明治初期の福山城の様子
- 昭和初期の本丸の様子
- 征露記念碑(忠魂碑)
- 焼失前の天守入口
- 阿部正弘像
- 国旗掲揚塔
- 焼失前の御湯殿(清風楼)
- 葦陽館
- 「備陽六郡志」での福山城の記述
https://bingo-history.net/archives/8655https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2014/07/2cad78462e4e3663ec0280b492387fa5.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2014/07/2cad78462e4e3663ec0280b492387fa5-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー福山城2013年7月6日発行 旧「阿部正弘像」 大正11年(1922年)に阿部正弘を顕彰するため福山市民有志により建立される。建設費は5万円で全額寄付により賄われた。像は高さ14尺(約4.24m)、原型は新進気鋭の彫刻家「武石弘三郎」により製作される。台座は関西建築界の父と言われる福山出身の建築家「武田五一」により設計されたもの。太平洋戦争時の戦時供出で像と銘板が撤去される… <目次> 東側から見たかつての福山城
本丸の構成
明治初期の福山城の様子
昭和初期の本丸の様子
征露記念碑(忠魂碑)
焼失前の天守入口
阿部正弘像
国旗掲揚塔
焼失前の御湯殿(清風楼)
葦陽館
「備陽六郡志」での福山城の記述 続・福山城の痕跡を歩く管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会