福山城の痕跡を歩く【報告】2月2日【ぶら探訪】(その九)

今年最初の「ぶら探訪」が開催された。講師は福山城研究家で備陽史探訪の会の新事務局長田中氏。天候にも恵まれ、絶好調の一日でした。

2013年2月2日、明け方まで降っていた雨もピタリと止み、
39度の熱にうなされていた講師もなんとか復調し、
無事、開催にこぎつけた「ぶら探訪9 福山城の痕跡を歩く

今回は、筋鉄御門の内部公開という目玉もあって、なんと80名超の参加者が!!
福山城郭研究家の田中講師によるぶら探訪は、天守閣をスルーしちゃって、かなりマニアックなポイントをチョイス!
でも、わかった人も???な人もそれなりに楽しめた探訪ではなかったでしょうか。

集合時間30分ほど前から、続々と北口噴水公園に集まる参加者たち。
北口噴水公園に集まる参加者たち

北口噴水公園に集まる参加者

会長挨拶
会長挨拶

さっそく講師の説明が……。
まずは東内掘の犬走りから、眼の前にそびえる福山城で一番高い石垣のお話。

講師の田中氏

次のポイントへ移動です。雨はすっかりあがり、参加者の足取りも軽く…。
次のポイントへ移動

いよいよ出発、総勢80人
いよいよ出発、総勢80人

東側入口から、斜めに積み上げられた石垣を見ながらの説明。幕末に江木鰐水が新たな内掘を造る計画を考えていたとのことです。
斜めに積み上げられた石垣を見ながらの説明

東側の門の前で、実はここに元々入口はなかったんですよ!のお話。講師に見えるのは、歴民研の新部会長さんですよ。今回のぶら探訪の影仕切り屋です。おかげで大所帯にもかかわらずスムーズな探訪となりました。ありがとうございます。
東側の門の前

月見櫓の下では、石垣の積み方の話と、実は櫓の形が違うのでは?的なお話し。
月見櫓の下

今回の田中講師と、次回ぶら探訪講師の中西氏。若手コンビのツーショット!
なかなかイケてますでしょ!?
マイクのハウリング対策のためとはいえ、その後ずっと、ラブラブ(?)な二人。
マイク持ち、お疲れ様でした!おかげで、すごく聴き易かったです!

今回の田中講師と、次回ぶら探訪講師の中西氏

月見櫓の説明に熱心に筆を走らせる参加者たち。
本当はもっと説明したかったようですが、桜の木の伐採現場に遭遇!というとんだハプニングもあり、
急遽計画を変更された模様。初めての例会とも思えない、堂々とした対応っぷりでした!
今回は、若い参加者が多かったのも特徴です。やはり福山城は人気ですネ。

月見櫓の説明に熱心に筆を走らせる参加者たち

狭間の鉄砲と矢の1:2の比率。本当は1:1だったとか。
しかも鉄砲の位置は高くて、弓の位置は低すぎなどの、実践的な疑問点なども説明。
まさに「まちがいだらけの福山城」ですネ。

狭間

今回は、歴民研部会の大活躍で、スムースな誘導でした。
特に「最後尾」の札は重宝しました。これは次回もあればいいですね。
でも、この札案外重いらしいです。ずっと、シンガリ努めた種本さん、お疲れ様でした!
おかげで、とっても順調に運びました。

「最後尾」の札

筋鉄御門前の仕切門跡での説明。「ここにこういうふうに塀があって…、ここに礎石らしいものが残って…」。今まで想像もしなかった福山城の姿に、参加者も熱心に耳を傾けます。
筋鉄御門前の仕切門跡での説明

御殿跡の石碑の前で。実は「御殿」跡はずっと東の奥の場所とのこと。石碑のあるのは広間や書院で、肝心の御殿の礎石はないそうです。
御殿跡の石碑の前

いよいよ伏見櫓の内部見学です。
こちらは年一回一般公開されますので、ほとんどの方は二度目以降の見学のようでした。
80名もの見学者は、入るだけでもかなりの時間がかかります。はい、順序良く、順序よく。。

見櫓の内部見学

1階を飛ばしていきなり2階からの説明です。3階では、明治時代、ここは骨董屋で井伏鱒二も訪れたという話は新鮮でしたネ。あちこちの改装の跡も納得です。
※ちなみに、「井伏鱒二自選全集 第7巻」に伏見櫓のことが書かれています。
2階からの説明

伏見櫓を見学

さて、お次はいよいよ、今回の大目玉!「筋鉄御門の内部見学」
一般公開がされてこなかったということで、ほぼ全員が初めて訪れる場所です。
みんな期待に胸もワクワク!ですが、内部事情により20名ごとに分かれての見学でした。

今回の大目玉!「筋鉄御門の内部見学」

いよいよ初公開の筋鉄御門

内部は意外に広々でした。両側に土間があり、かなり高い位置に板が張られています。
板の下は、筋鉄御門の門下空間。節目の穴や板の隙間から直下が丸見えです。

筋鉄御門の内部

筋鉄御門の内部

20名ずつ並んで入りますが、入口の土間には水野家家紋と阿部家家紋の入った瓦が山積み!
わずかに人ひとりが通れるスペースがあって、そこから順に内部へ入ります。
しかし、板張りの段差が非常に高く(腰より高い位置)、上るのにも一苦労でした。

筋鉄御門入口の土間

想像以上に古材が使われており、参加者から「どこからかの移築では?」の声も多数上っていました。
そこらへんも、今後の研究対象になりそうですね。
なにより、内部見学できたのは、どの参加者にとっても大きな収穫だったようです。

筋鉄御門の内部

筋鉄御門の見学も終り、ちょっと緊張感がほどけた参加者たち。
この頃には、もう陽光が燦燦と降り注ぐ小春日和に…。

筋鉄御門の見学も終り、ちょっと緊張感がほどけた参加者たち

こっそり我々を狙っているのは不届きなカメラ小僧ではありません。
今回、休日出勤して、筋鉄御門を開錠してくださった文化課のT氏です。
泥があがった内部の掃除から窓の戸締りまで、何から何まで、お世話になりました。
ありがとうございました!

筋鉄御門を開錠してくださった文化課のT氏

神辺一番櫓跡にて。今回は、普通ではあまりかえりみられない、櫓の解説がふんだんに聴けました。
人質櫓と火打櫓の謎も興味深かったですね。
ここでは、かつて城内動物園にいた孔雀と鹿の行く末までフォロー。

神辺一番櫓跡にて

神辺一番櫓跡

二の丸では家老屋敷築地塀跡を辿り、三の丸方面へ。
県博前の塀跡の筋は時間がなくて、素通りでした、多くの参加者はたいへん興味を持たれたようです。
県博へは何度も来ていても、気付いてなかった人も多かったのでは?

家老屋敷築地塀跡

最後は、ロッツ前にあった外堀に架かった橋跡の記念碑へ。鞆の軽便鉄道の脇の人専用の橋だったようです。この公園でお開きとなりました。
福山城郭は外堀までの広大な面積を有しています。
1度ではとても廻り切れませんね。
次回、続編が楽しみであります。

外堀に架かった橋跡の記念碑

三の丸公園

※尚、近日発送『備陽史研究・山城志』21集に講師の田中伸治の「福山城の藩主屋敷について―御屋形は水野勝俊によって建てられたのか?」の論考が掲載されています。こちらもあわせてお楽しみください。

最後の締めは会長挨拶(右)と、そして今回マイク持ち係りに徹してくれた中西氏の来月ぶら探訪の案内でした。
次回のぶら探訪(4月2日)は中西講師による「両備軽便鉄道跡を訪ねる」です。
お楽しみに。

最後の締めは会長挨拶(右)と、中西氏

会の終りに、講師の田中氏と並ぶ福山城郭研究家のN氏も探訪の会に入会してくださいました。
しかも、探訪の会の最年少記録も更新しちゃうおまけ付きで!
今後のぶら探訪、ますますお楽しみ!

講師をはじめ、歴民研の部会員の皆さま、そしてスタッフの皆様、ありがとうございました!
参加者の皆様、お疲れ様でした!

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/02/IMG_7837.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/02/IMG_7837-150x100.jpg水野藤十郎活動報告今年最初の「ぶら探訪」が開催された。講師は福山城研究家で備陽史探訪の会の新事務局長田中氏。天候にも恵まれ、絶好調の一日でした。 2013年2月2日、明け方まで降っていた雨もピタリと止み、 39度の熱にうなされていた講師もなんとか復調し、 無事、開催にこぎつけた「ぶら探訪9 福山城の痕跡を歩く」 今回は、筋鉄御門の内部公開という目玉もあって、なんと80名超の参加者が!! 福山城郭研究家の田中講師によるぶら探訪は、天守閣をスルーしちゃって、かなりマニアックなポイントをチョイス! でも、わかった人も???な人もそれなりに楽しめた探訪ではなかったでしょうか。 集合時間30分ほど前から、続々と北口噴水公園に集まる参加者たち。 会長挨拶 さっそく講師の説明が……。 まずは東内掘の犬走りから、眼の前にそびえる福山城で一番高い石垣のお話。 次のポイントへ移動です。雨はすっかりあがり、参加者の足取りも軽く…。 いよいよ出発、総勢80人 東側入口から、斜めに積み上げられた石垣を見ながらの説明。幕末に江木鰐水が新たな内掘を造る計画を考えていたとのことです。 東側の門の前で、実はここに元々入口はなかったんですよ!のお話。講師に見えるのは、歴民研の新部会長さんですよ。今回のぶら探訪の影仕切り屋です。おかげで大所帯にもかかわらずスムーズな探訪となりました。ありがとうございます。 月見櫓の下では、石垣の積み方の話と、実は櫓の形が違うのでは?的なお話し。 今回の田中講師と、次回ぶら探訪講師の中西氏。若手コンビのツーショット! なかなかイケてますでしょ!? マイクのハウリング対策のためとはいえ、その後ずっと、ラブラブ(?)な二人。 マイク持ち、お疲れ様でした!おかげで、すごく聴き易かったです! 月見櫓の説明に熱心に筆を走らせる参加者たち。 本当はもっと説明したかったようですが、桜の木の伐採現場に遭遇!というとんだハプニングもあり、 急遽計画を変更された模様。初めての例会とも思えない、堂々とした対応っぷりでした! 今回は、若い参加者が多かったのも特徴です。やはり福山城は人気ですネ。 狭間の鉄砲と矢の1:2の比率。本当は1:1だったとか。 しかも鉄砲の位置は高くて、弓の位置は低すぎなどの、実践的な疑問点なども説明。 まさに「まちがいだらけの福山城」ですネ。 今回は、歴民研部会の大活躍で、スムースな誘導でした。 特に「最後尾」の札は重宝しました。これは次回もあればいいですね。 でも、この札案外重いらしいです。ずっと、シンガリ努めた種本さん、お疲れ様でした! おかげで、とっても順調に運びました。 筋鉄御門前の仕切門跡での説明。「ここにこういうふうに塀があって…、ここに礎石らしいものが残って…」。今まで想像もしなかった福山城の姿に、参加者も熱心に耳を傾けます。 御殿跡の石碑の前で。実は「御殿」跡はずっと東の奥の場所とのこと。石碑のあるのは広間や書院で、肝心の御殿の礎石はないそうです。 いよいよ伏見櫓の内部見学です。 こちらは年一回一般公開されますので、ほとんどの方は二度目以降の見学のようでした。 80名もの見学者は、入るだけでもかなりの時間がかかります。はい、順序良く、順序よく。。 1階を飛ばしていきなり2階からの説明です。3階では、明治時代、ここは骨董屋で井伏鱒二も訪れたという話は新鮮でしたネ。あちこちの改装の跡も納得です。 ※ちなみに、「井伏鱒二自選全集 第7巻」に伏見櫓のことが書かれています。 さて、お次はいよいよ、今回の大目玉!「筋鉄御門の内部見学」。 一般公開がされてこなかったということで、ほぼ全員が初めて訪れる場所です。 みんな期待に胸もワクワク!ですが、内部事情により20名ごとに分かれての見学でした。 内部は意外に広々でした。両側に土間があり、かなり高い位置に板が張られています。 板の下は、筋鉄御門の門下空間。節目の穴や板の隙間から直下が丸見えです。 20名ずつ並んで入りますが、入口の土間には水野家家紋と阿部家家紋の入った瓦が山積み! わずかに人ひとりが通れるスペースがあって、そこから順に内部へ入ります。 しかし、板張りの段差が非常に高く(腰より高い位置)、上るのにも一苦労でした。 想像以上に古材が使われており、参加者から「どこからかの移築では?」の声も多数上っていました。 そこらへんも、今後の研究対象になりそうですね。 なにより、内部見学できたのは、どの参加者にとっても大きな収穫だったようです。 筋鉄御門の見学も終り、ちょっと緊張感がほどけた参加者たち。 この頃には、もう陽光が燦燦と降り注ぐ小春日和に…。 こっそり我々を狙っているのは不届きなカメラ小僧ではありません。 今回、休日出勤して、筋鉄御門を開錠してくださった文化課のT氏です。 泥があがった内部の掃除から窓の戸締りまで、何から何まで、お世話になりました。 ありがとうございました! 神辺一番櫓跡にて。今回は、普通ではあまりかえりみられない、櫓の解説がふんだんに聴けました。 人質櫓と火打櫓の謎も興味深かったですね。 ここでは、かつて城内動物園にいた孔雀と鹿の行く末までフォロー。 二の丸では家老屋敷築地塀跡を辿り、三の丸方面へ。 県博前の塀跡の筋は時間がなくて、素通りでした、多くの参加者はたいへん興味を持たれたようです。 県博へは何度も来ていても、気付いてなかった人も多かったのでは? 最後は、ロッツ前にあった外堀に架かった橋跡の記念碑へ。鞆の軽便鉄道の脇の人専用の橋だったようです。この公園でお開きとなりました。 福山城郭は外堀までの広大な面積を有しています。 1度ではとても廻り切れませんね。 次回、続編が楽しみであります。 ※尚、近日発送『備陽史研究・山城志』21集に講師の田中伸治の「福山城の藩主屋敷について―御屋形は水野勝俊によって建てられたのか?」の論考が掲載されています。こちらもあわせてお楽しみください。 最後の締めは会長挨拶(右)と、そして今回マイク持ち係りに徹してくれた中西氏の来月ぶら探訪の案内でした。 次回のぶら探訪(4月2日)は中西講師による「両備軽便鉄道跡を訪ねる」です。 お楽しみに。 会の終りに、講師の田中氏と並ぶ福山城郭研究家のN氏も探訪の会に入会してくださいました。 しかも、探訪の会の最年少記録も更新しちゃうおまけ付きで! 今後のぶら探訪、ますますお楽しみ! 講師をはじめ、歴民研の部会員の皆さま、そしてスタッフの皆様、ありがとうございました! 参加者の皆様、お疲れ様でした!備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い