2016年6月4日発行
福山城二の丸の北側、現在の福寿会館およびテニスコート一帯には、かつて幕府から預かった米を収める「御用米蔵」と呼ばれる蔵が立ち並んでいた。この施設は1633年(寛永10年)に始められた非常時の備えとして一定量の米を幕府直轄と譜代大名の城に備蓄させる制度に用いられたもので、通常の年貢米と峻別し、「城詰米」、「御城米」、「城付米」、「御用米」などと呼ばれ、管理・運用された…
<目次>
- 東側から見たかつての福山城
- 江木顎水の福山城強化案
- 御用米蔵(五千石蔵)
- 本丸の構成
- 本丸の櫓名称の謎
- 明治初期の福山城の様子
- 福山公園(現:本丸跡)
- 征露記念碑(忠魂碑)
- 寺地舟里碑
- 阿部正弘像
- 御野立所(元 遥拝所 )
- 国旗掲揚塔
- 焼失前の御湯殿(清風楼)
- 葦陽館
- 1952(昭和27年)福山市鳥瞰図
- これはどこでしょう?
- 小丸山の変遷(航空写真)
https://bingo-history.net/archives/18027https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/07/a8cf37639b3f3f93def3fdc68ae37d43.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/07/a8cf37639b3f3f93def3fdc68ae37d43-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー2016年6月4日発行 福山城二の丸の北側、現在の福寿会館およびテニスコート一帯には、かつて幕府から預かった米を収める「御用米蔵」と呼ばれる蔵が立ち並んでいた。この施設は1633年(寛永10年)に始められた非常時の備えとして一定量の米を幕府直轄と譜代大名の城に備蓄させる制度に用いられたもので、通常の年貢米と峻別し、「城詰米」、「御城米」、「城付米」、「御用米」などと呼ばれ、管理・運用された… <目次> 東側から見たかつての福山城
江木顎水の福山城強化案
御用米蔵(五千石蔵)
本丸の構成
本丸の櫓名称の謎
明治初期の福山城の様子
福山公園(現:本丸跡)
征露記念碑(忠魂碑)
寺地舟里碑
阿部正弘像
御野立所(元 遥拝所 )
国旗掲揚塔
焼失前の御湯殿(清風楼)
葦陽館
1952(昭和27年)福山市鳥瞰図
これはどこでしょう?
小丸山の変遷(航空写真) 小丸山から本丸まで、残された歴史の破片を訪ねて管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会