第31回 親と子の歴史ウォーク【報告】5月5日
2013年5月5日
こどもの日恒例の「親と子の歴史ウォーク」を開催しました。
少々暑いぐらいの陽気の中、74名の方が参加されました。
近田駅を基点に最明寺跡→権現古墳→最明寺板碑→中島八幡神社→宝塚→二子塚→松林堂→堀の土居城跡と、予定通りに行程を消化し、午後3時過ぎ近田駅に到着して解散しました。
JR近田駅で出発式を行ないます。

駅から最初の目的地「最明寺跡」に向かいます。

最明寺跡での説明

ここは古代の「駅家(うまや)」の跡だと考えられています。

次に権現古墳に移動します。

のどかな田園地帯を歩く一行

「権現古墳」に到着。ここには熊野神社が祀られています。

祠の下の巨大な岩が石室の天井石です。つまり、墳丘が流失した石室の上に神社が建てられているのです。

裏から見ると内部に空間(石室)があるのがよく分かります。

石室内部。現在は大半が埋まっています。

続いて、最明寺に向かいます。この寺が最初の「最明寺跡」から移転したものだと言われています。

今回は朝日新聞のレポーターさんが同行されました

最明寺の脇にある板碑「最明寺板碑」。

この板碑は延文2年(1357年)に順阿弥陀仏という僧侶が時宗の教えを広めるために立てられたものです。実は、この岩は二子塚古墳の石室を転用したもののようです。

最明寺のすぐ西に中島八幡宮があります。

「中島八幡宮」拝殿前で八幡神社について説明。

中島八幡宮から宝塚古墳へ

中島八幡宮の西にある山を登ると「宝塚古墳」があります。ここは周囲が狭いため、10名程度に分かれて見学します。

宝塚古墳の石室入口はとても狭いですが…

内部はとても大きな空間が広がっています。

宝塚古墳から二子塚古墳へ。


いよいよ、今回の目玉である巨大前方後円墳「二子塚古墳」にやってきました。

11時半頃、二子塚古墳に到着

いつもは閉鎖されている石室ですが、今回は特別に公開して頂きました。

二子塚古墳石室内部。

奥の岩は巨大な一枚岩です。ここには温度計、湿度計が設置され大切に管理されています。

床には石棺の床石が残されています。これに先の最明寺板碑が組み合わされていたと思われます。

二子塚古墳は後円部だけでなく、前方にも石室の跡があります。

古墳の周囲には周溝跡があり、紐でマーキングされています。

二子塚古墳の隣の公園で昼休憩です。この場所は「池ノ内遺跡」と呼ばれ古代の住居や古墳が検出されたところです。

昼休憩の後は、クイズ大会。クイズの景品が豪華でないのはご容赦のほど…

池ノ内遺跡から弥生ケ丘を通り抜け…

弥生ケ丘入口にある四ツ堂を見学します。なお、この四ツ堂は弥生ケ丘の開発により現在地に移転されたものです。

四ツ堂の横には五輪塔の残欠など中世の石造物が集められています。

四ツ堂から丘を下りて、「松林堂跡」に到着しました。ここも所有者の方から特別に見学の許可を頂きました。

松林堂の建物です。なお、屋根などは近年の改変です。

松林堂の横には松林堂の先生であった「信岡武平治の崇徳碑」が立てられています。

最後の目的地、「堀の土井城跡」が見えてきました。

堀の土井城跡の頂上には近田八幡神社が建てられています。

山裾には堀切跡と思われる谷があります。

そして、近田駅に戻りました。予定よりやや早く到着したため1本早い電車が来てしまい、解散式は切り上げて終了となりました。






