比叡尾山城の事前調査に行ってきました(広島県三次市)
当会役員を中心とした4名にて、11月11日のバス例会「比叡尾山城に登る」に向けてスケジュールと現地の状況を確認する事前調査に行ってきました。
比叡尾山城は備北を代表する巨城ですが、これまで草木が生い茂り登頂困難な状態となっていました。しかし、近年に地元の方によって整備され、その驚くべき全貌が明らかになり、現在この地域で最も注目されている山城のひとつになっています。
目的地はここ。
当初は、麓の熊野神社から大手道を通って登山する予定でしたが、地元の方に伺ったところ道が荒れていてやめた方がよいとのこと。
仕方なく隣の山にある岩屋寺と呼ばれる寺を経由して尾根伝いに比叡尾山城にアプローチすることになりました。出だしから大幅な予定変更になりましたが、こうした事態を把握するのがまさに事前調査の大きな目的なのです。
岩屋寺の参道は最初は歩きやすい道が続いています。
少し岩肌の見え隠れする山道になったと思ったら、立派な仁王門が忽然と建っています。仁王像を様子を見ようと門の下まで来ると多数の蜂が飛んでいます。なんと、仁王像が蜂の巣になっていたのでした。
蜂をやり過ごし、更に登ると岩の転がる本格的に山道になっていきます。そして、ここにはマムシが!!しかし、例会当日の時期には出ることはないと思いますので、参加を予定されている方はご安心ください。
登り始めて15分ぐらいで巨大な岩盤を背後にした広い空間が現れます。どうも、岩屋寺の「岩屋」はここが原点のようです。周囲には様々な草が生えていて、ここに野草を求めて来るバスツアーもあるそうです。
近くには無数の石仏もあり、独特の不思議な雰囲気です。
また少し登ると祠があります。中の石仏には天明元年の銘がありました。この辺りからは近年に歩道が整備され、歩きやすい道になっています。
登り始めてから約30分で岩屋寺に到着。住職にご挨拶し、トイレの様子も確認。トイレは例会事前調査の最重要確認ポイントなのです。
境内は整然としています。例会当日はここで昼食になると思いますが、その頃には紅葉に囲まれて綺麗だと思いますよ。
ここはまた景色が素晴らしい。これで満足して帰ってもいいぐらいですが(笑)、目的地はここからです。
岩屋寺からしばらく歩くと「粟屋隆信」の墓があります。
ここからの景色も素晴らしく、三次市街を一望できます。
更に歩き続けると開けた場所があります。比叡尾山城城主三吉氏の菩提寺「光源寺」跡です。
光源寺跡の脇には三吉一族の墓所があります。三吉氏の墓にしては随分小ぶりですが、周囲には五輪塔の破片が散在しており、もっと大きな墓が人知れず埋もれているのかもしれません。
岩屋寺から歩くこと約15分、いよいよ比叡尾山城に到着です!
堀切。写真では分かりにくいですが、凄い規模です。
本丸。とてつもない大きさです。この下に二の丸、三の丸、と延々曲輪が続いていてますが、ひとつひとつがとても大きく、その巨大さに圧倒されるばかりです。
三の丸。今回はここで昼食。この後、本丸の下に「穴蔵」があるということで、周囲を捜索しますが、何しろ巨大な本丸なので歩きまわってもなかなか見つかりません。
これかな?と思いきや、これは目的不明の別の施設。結局、今回は時間の関係もあり残念ながら穴蔵は発見できませんでした。例会本番は位置をご存知の地元の方に案内頂く予定ですので、詳しくは当日のお楽しみということで…
石垣もあります。ただし、部分的すぎたり状態が良すぎたり積み方が不自然だったりと、ここは近代に構築したのかもしれません。
比叡尾山城を後にし、帰りは岩屋寺に至る車道を下っていきます。道自体は平坦で舗装されて非常によいのですが、延々と続くつづら折れで行きの2倍以上は歩いたような気がします。実はこの帰り道が一番の難所かもしれません。なお、例会はバスを使うため、ここを歩いていますが、普通車であればこの道路で城のすぐ近くまで容易の行くことができます。
比叡尾山城ともお別れ。当日も大抵の人はクタクタになりながらこの景色を見ることになると思います…
そんな疲れを癒す帰路の休憩場所は三次ワイナリーを予定しています。今回はシーズンまっただ中「三次ワイン秋祭」と重なり非常に混雑していましたが、当日は良くも悪くも今日より空いていると思います。ワインの試飲コーナーもありますので、疲れた体に染み込むワインでほろ酔い気分になりながら福山に戻る、という算段です(笑)
当日は寄る時間はないとは思いますが、今回は和智氏の菩提寺「大慈寺」にも寄りました。
ここには永禄4年(1561年)の銘の入った宝篋印塔があります。現在、当会で実施している中世石造物調査が進展し本格的な年代分類の研究が始まると参考になるかもしれません。
https://bingo-history.net/archives/5918https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/10/2012-10-07T19-14-04_37-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/10/2012-10-07T19-14-04_37-150x100.jpg事務局だより比叡尾山城当会役員を中心とした4名にて、11月11日のバス例会「比叡尾山城に登る」に向けてスケジュールと現地の状況を確認する事前調査に行ってきました。 比叡尾山城は備北を代表する巨城ですが、これまで草木が生い茂り登頂困難な状態となっていました。しかし、近年に地元の方によって整備され、その驚くべき全貌が明らかになり、現在この地域で最も注目されている山城のひとつになっています。 目的地はここ。 当初は、麓の熊野神社から大手道を通って登山する予定でしたが、地元の方に伺ったところ道が荒れていてやめた方がよいとのこと。
仕方なく隣の山にある岩屋寺と呼ばれる寺を経由して尾根伝いに比叡尾山城にアプローチすることになりました。出だしから大幅な予定変更になりましたが、こうした事態を把握するのがまさに事前調査の大きな目的なのです。 岩屋寺の参道は最初は歩きやすい道が続いています。 少し岩肌の見え隠れする山道になったと思ったら、立派な仁王門が忽然と建っています。仁王像を様子を見ようと門の下まで来ると多数の蜂が飛んでいます。なんと、仁王像が蜂の巣になっていたのでした。 蜂をやり過ごし、更に登ると岩の転がる本格的に山道になっていきます。そして、ここにはマムシが!!しかし、例会当日の時期には出ることはないと思いますので、参加を予定されている方はご安心ください。 登り始めて15分ぐらいで巨大な岩盤を背後にした広い空間が現れます。どうも、岩屋寺の「岩屋」はここが原点のようです。周囲には様々な草が生えていて、ここに野草を求めて来るバスツアーもあるそうです。 近くには無数の石仏もあり、独特の不思議な雰囲気です。 また少し登ると祠があります。中の石仏には天明元年の銘がありました。この辺りからは近年に歩道が整備され、歩きやすい道になっています。 登り始めてから約30分で岩屋寺に到着。住職にご挨拶し、トイレの様子も確認。トイレは例会事前調査の最重要確認ポイントなのです。 境内は整然としています。例会当日はここで昼食になると思いますが、その頃には紅葉に囲まれて綺麗だと思いますよ。 ここはまた景色が素晴らしい。これで満足して帰ってもいいぐらいですが(笑)、目的地はここからです。 岩屋寺からしばらく歩くと「粟屋隆信」の墓があります。 ここからの景色も素晴らしく、三次市街を一望できます。 更に歩き続けると開けた場所があります。比叡尾山城城主三吉氏の菩提寺「光源寺」跡です。 光源寺跡の脇には三吉一族の墓所があります。三吉氏の墓にしては随分小ぶりですが、周囲には五輪塔の破片が散在しており、もっと大きな墓が人知れず埋もれているのかもしれません。 岩屋寺から歩くこと約15分、いよいよ比叡尾山城に到着です! 堀切。写真では分かりにくいですが、凄い規模です。 本丸。とてつもない大きさです。この下に二の丸、三の丸、と延々曲輪が続いていてますが、ひとつひとつがとても大きく、その巨大さに圧倒されるばかりです。 三の丸。今回はここで昼食。この後、本丸の下に「穴蔵」があるということで、周囲を捜索しますが、何しろ巨大な本丸なので歩きまわってもなかなか見つかりません。 これかな?と思いきや、これは目的不明の別の施設。結局、今回は時間の関係もあり残念ながら穴蔵は発見できませんでした。例会本番は位置をご存知の地元の方に案内頂く予定ですので、詳しくは当日のお楽しみということで… 石垣もあります。ただし、部分的すぎたり状態が良すぎたり積み方が不自然だったりと、ここは近代に構築したのかもしれません。 比叡尾山城を後にし、帰りは岩屋寺に至る車道を下っていきます。道自体は平坦で舗装されて非常によいのですが、延々と続くつづら折れで行きの2倍以上は歩いたような気がします。実はこの帰り道が一番の難所かもしれません。なお、例会はバスを使うため、ここを歩いていますが、普通車であればこの道路で城のすぐ近くまで容易の行くことができます。 比叡尾山城ともお別れ。当日も大抵の人はクタクタになりながらこの景色を見ることになると思います… そんな疲れを癒す帰路の休憩場所は三次ワイナリーを予定しています。今回はシーズンまっただ中「三次ワイン秋祭」と重なり非常に混雑していましたが、当日は良くも悪くも今日より空いていると思います。ワインの試飲コーナーもありますので、疲れた体に染み込むワインでほろ酔い気分になりながら福山に戻る、という算段です(笑) 当日は寄る時間はないとは思いますが、今回は和智氏の菩提寺「大慈寺」にも寄りました。 ここには永禄4年(1561年)の銘の入った宝篋印塔があります。現在、当会で実施している中世石造物調査が進展し本格的な年代分類の研究が始まると参考になるかもしれません。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会