1990年12月2日発行
~山城歩きパートⅢ~
和智氏と吉舎町
戦国時代、吉舎の南天山城に居城した和智氏は、鎌倉時代の始め、備後国三谷郡(現三次市東部、双三郡吉舎町・三良坂町)の地頭として関東より入国した藤原広沢氏の一族で、その先祖は平将門の乱で有各な藤原秀郷寿雑です。
秀郷の子孫は下野の小山氏、足利氏(藤姓)が有名ですが、その一族で相模国波田野荘(現神奈川県秦野市)に土着した者は波多野氏を称し、さらにその一派が武蔵国広沢に移り広沢氏を称しました。この広沢氏が和智氏の惣領家にあたります…
<目次>
- 目次
- スケジュール
- 吉舎町の山城
- 和智氏と吉舎町
- 南天山城
- 善逝寺
- 大慈寺
- 三玉大塚
- 備後中世の山城と武士団
- 地頭の館(リビングふくやま第279号より)
- 南天山城復元想像図
https://bingo-history.net/archives/4997https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/08/0cd7c5a21eae0f4ae3ca37bcb9bcbe52.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/08/0cd7c5a21eae0f4ae3ca37bcb9bcbe52-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー例会1990年12月2日発行
~山城歩きパートⅢ~ 和智氏と吉舎町 戦国時代、吉舎の南天山城に居城した和智氏は、鎌倉時代の始め、備後国三谷郡(現三次市東部、双三郡吉舎町・三良坂町)の地頭として関東より入国した藤原広沢氏の一族で、その先祖は平将門の乱で有各な藤原秀郷寿雑です。 秀郷の子孫は下野の小山氏、足利氏(藤姓)が有名ですが、その一族で相模国波田野荘(現神奈川県秦野市)に土着した者は波多野氏を称し、さらにその一派が武蔵国広沢に移り広沢氏を称しました。この広沢氏が和智氏の惣領家にあたります… <目次> 目次
スケジュール
吉舎町の山城
和智氏と吉舎町
南天山城
善逝寺
大慈寺
三玉大塚
備後中世の山城と武士団
地頭の館(リビングふくやま第279号より)
南天山城復元想像図 戦国和智氏の遺跡を訪ねて管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会