「備陽史探訪:156号」より
末森 清司
綣鈎史跡探訪記9
(前号から続く)
近江国犬上郡佐目村に明智十左衛門一族が生国美濃の土岐成頼に背きこの地に逃れ六角高頼の扶助を受け在住した事は事実なのか。歴史に疎いワシには解らない。
ワシは伝説・伝承に深く愛情をいだいている地元の人々から語り継がれている事実を大切にしたいと思う。
佐目地区を何度も探索すると集落を囲む様に山城が数多くあり、前回記載の長谷川博美先生が現地調査測量、城郭縄張図を作成された城跡だけでも「腰越の出郭跡」「腰越の城」「中タワ東北の城」「西出西方の城」「洗谷の城」等があり、これらの山城のある尾根続きの山稜には、陣城跡、砦跡、見張狼煙台跡が残り、これらの城跡がいつ頃築かれて、この地の士豪や明智一族との関わり役割が解明されたら面白いだろう。
ワシは城跡探訪の度にいつも思う事がある。
- 何故この地に築城したのか。
- 創築年代と創築者。
- 廃城した年代と城のたどった歴史。
- 築城の縄張りをしたのは誰
- 作事に携った職人集団、頭を中心とした技術、技能、指導力と団結力はどの様なものだったのか。
- 城と地域の人々の関係、衆人達の城への想いは。
等の往時を偲べば興味は尽きない。
今回もこれらを胸に丸山竜平先生の佐目の明智光秀伝説の現地見学会に参加した。
山麓から遺構を細かく見ながら説明を聞く。山頂本丸跡で南北朝期と戦国期の山城の構造の違いとこの地方の歴史、民俗文化の説明があり、佐目の城跡と明智一族との関わりは文献、資料が無く真実は残念ながら不明。しかしいくつかの城跡を調べると小城ながら高い作事技術がみられ防備攻撃が少人数で出来る城があり、明智一族が関わった可能個も考えられるかも知れない。この地力は寺院が多く寺の守りとして築いた城もありその違いを見比べると面白いですよ。との丸山先生の説明に小さな名も無い様な山城も数倍楽しくなるアドバイスを感じた。
一息人れた所で先記の六項目について自分の想いを込めて質問すると丸山先牛はワシの名前を覚えて下さり早々に「末森城主」のニックネームを頂戴した。言葉訛から「末森は能登と尾張に有りますが尾張末森城主ですね。双方の城跡見学されましたか」の逆質問され「どちらも探訪しました。遺構がよく残っており嬉しかったです」と答えた。
一時参加者全員で脱線話に花が咲き「『末森城主』は、城郭研究者・愛好者とはかなり見方が違い面白いですね、話を聞いて参考になります」との言葉があり楽しい見学会だった。
〔補記〕
丸山竜平先生 文学博士・元名古屋女子大学教授・愛知県史編纂委員名古屋市文化財調査委員・元滋賀県中世城郭調査委員
https://bingo-history.net/archives/23840https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/04/1321366470.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/04/1321366470-150x150.jpg管理人紀行・随筆「備陽史探訪:156号」より
末森 清司 綣鈎史跡探訪記9
(前号から続く)
近江国犬上郡佐目村に明智十左衛門一族が生国美濃の土岐成頼に背きこの地に逃れ六角高頼の扶助を受け在住した事は事実なのか。歴史に疎いワシには解らない。 ワシは伝説・伝承に深く愛情をいだいている地元の人々から語り継がれている事実を大切にしたいと思う。 佐目地区を何度も探索すると集落を囲む様に山城が数多くあり、前回記載の長谷川博美先生が現地調査測量、城郭縄張図を作成された城跡だけでも「腰越の出郭跡」「腰越の城」「中タワ東北の城」「西出西方の城」「洗谷の城」等があり、これらの山城のある尾根続きの山稜には、陣城跡、砦跡、見張狼煙台跡が残り、これらの城跡がいつ頃築かれて、この地の士豪や明智一族との関わり役割が解明されたら面白いだろう。 ワシは城跡探訪の度にいつも思う事がある。 何故この地に築城したのか。
創築年代と創築者。
廃城した年代と城のたどった歴史。
築城の縄張りをしたのは誰
作事に携った職人集団、頭を中心とした技術、技能、指導力と団結力はどの様なものだったのか。
城と地域の人々の関係、衆人達の城への想いは。 等の往時を偲べば興味は尽きない。 今回もこれらを胸に丸山竜平先生の佐目の明智光秀伝説の現地見学会に参加した。 山麓から遺構を細かく見ながら説明を聞く。山頂本丸跡で南北朝期と戦国期の山城の構造の違いとこの地方の歴史、民俗文化の説明があり、佐目の城跡と明智一族との関わりは文献、資料が無く真実は残念ながら不明。しかしいくつかの城跡を調べると小城ながら高い作事技術がみられ防備攻撃が少人数で出来る城があり、明智一族が関わった可能個も考えられるかも知れない。この地力は寺院が多く寺の守りとして築いた城もありその違いを見比べると面白いですよ。との丸山先生の説明に小さな名も無い様な山城も数倍楽しくなるアドバイスを感じた。 一息人れた所で先記の六項目について自分の想いを込めて質問すると丸山先牛はワシの名前を覚えて下さり早々に「末森城主」のニックネームを頂戴した。言葉訛から「末森は能登と尾張に有りますが尾張末森城主ですね。双方の城跡見学されましたか」の逆質問され「どちらも探訪しました。遺構がよく残っており嬉しかったです」と答えた。 一時参加者全員で脱線話に花が咲き「『末森城主』は、城郭研究者・愛好者とはかなり見方が違い面白いですね、話を聞いて参考になります」との言葉があり楽しい見学会だった。 〔補記〕
丸山竜平先生 文学博士・元名古屋女子大学教授・愛知県史編纂委員名古屋市文化財調査委員・元滋賀県中世城郭調査委員管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会