2000年3月5日発行
―もう一つ別の津山に会いに行く―
神楽尾城跡
中世美作国苫田郡内にあった山城。現在の津山市総社神楽尾山にある。吉井川北岸にあり、津山盆地中央部を制する要衝で、城下に南麓に戸川宿が成立していた。
神楽尾山は津山市街地の北西部に位置しており、標高は308mで、南東麓の美作国府からの比高が約200mある。城跡は山頂部を中心に放射状に築かれているが、はっきりとした築造年代は不明である。
ただ『太平記』に「山名伊豆守三千余騎を率ひ、二手に分て(中略)赤松筑前守入道世貞、同律師則祐が所々の城を責むるに(中略)神楽尾城等第一怺もせず」とあるので、すでに南北朝時代には築城されていたことがわかる…
<目次>
- 旅程
- 神楽尾山城跡
- 徳守神社
- 徳守神社社殿
- 泰安寺
- 成道寺
- 本源寺
- 【参考】森忠政
- 【参考】津山藩森氏
- 【参考】津山藩松平氏
https://bingo-history.net/archives/2329https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2000/03/aaef74641b31716f43a906b72afa455a.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2000/03/aaef74641b31716f43a906b72afa455a-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー例会,史跡巡り2000年3月5日発行
―もう一つ別の津山に会いに行く― 神楽尾城跡 中世美作国苫田郡内にあった山城。現在の津山市総社神楽尾山にある。吉井川北岸にあり、津山盆地中央部を制する要衝で、城下に南麓に戸川宿が成立していた。 神楽尾山は津山市街地の北西部に位置しており、標高は308mで、南東麓の美作国府からの比高が約200mある。城跡は山頂部を中心に放射状に築かれているが、はっきりとした築造年代は不明である。 ただ『太平記』に「山名伊豆守三千余騎を率ひ、二手に分て(中略)赤松筑前守入道世貞、同律師則祐が所々の城を責むるに(中略)神楽尾城等第一怺もせず」とあるので、すでに南北朝時代には築城されていたことがわかる… <目次> 旅程
神楽尾山城跡
徳守神社
徳守神社社殿
泰安寺
成道寺
本源寺
【参考】森忠政
【参考】津山藩森氏
【参考】津山藩松平氏 夢見月、神楽尾山の野に遊ぶ管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会