2000年4月9日発行
―花の下にて春、神辺宿の史跡めぐりと「お花見」―
神辺宿と黄葉山城跡
かつての面影を残す「本陣」や「管茶山旧宅」で有名な神辺は、近世、西国街道の宿場町として栄えたところです。
その発祥は古く、今から六百余年前に逆上ると言われています。南北朝時代の建武年間(一三三四頃)、備後守護職に任ぜられた朝山景連は、町の南に盤える責葉山に城を築き、居城としました。以来、元和五年(一六一九)、水野勝成が福山に城を移すまで三百年近く、この地は備後の中心として栄え、城下町が形成されました。現在でも、町中に「三日市」「七日市」の地名がのこっていますが、これは当時城下に開かれた「市」の名残です…
<目次>
- 神辺宿と黄葉山城跡 (田口義之)
- 山名理興の野望 福山市観光協会刊『備後戦国紀行』より
- 神辺城跡 備陽史探訪の会刊『山城探訪』より
- 菅茶山
- 神辺宿の街並 (神辺郷土史研究会『近世神辺宿の街並』より)
- 神辺宿絵図(写)
https://bingo-history.net/archives/2339https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2000/04/f00d8f50b319e8005cd2ef8c24daa8ea.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2000/04/f00d8f50b319e8005cd2ef8c24daa8ea-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー2000年4月9日発行
―花の下にて春、神辺宿の史跡めぐりと「お花見」― 神辺宿と黄葉山城跡 かつての面影を残す「本陣」や「管茶山旧宅」で有名な神辺は、近世、西国街道の宿場町として栄えたところです。 その発祥は古く、今から六百余年前に逆上ると言われています。南北朝時代の建武年間(一三三四頃)、備後守護職に任ぜられた朝山景連は、町の南に盤える責葉山に城を築き、居城としました。以来、元和五年(一六一九)、水野勝成が福山に城を移すまで三百年近く、この地は備後の中心として栄え、城下町が形成されました。現在でも、町中に「三日市」「七日市」の地名がのこっていますが、これは当時城下に開かれた「市」の名残です… <目次> 神辺宿と黄葉山城跡 (田口義之)
山名理興の野望 福山市観光協会刊『備後戦国紀行』より
神辺城跡 備陽史探訪の会刊『山城探訪』より
菅茶山
神辺宿の街並 (神辺郷土史研究会『近世神辺宿の街並』より)
神辺宿絵図(写) 風光る黄葉山に桜花舞う管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会