備後の道を歩く1 国境碑について

備陽史探訪:184号」より

岡田 宏一郎

安芸国と備後国の国境の碑

東海道歩きや旧山陽道(西国街道)歩きで「国境の碑」や「境界に関した表示」を見ていることから境界の碑や表示には関心がある。国道をバスや車で走っていると「県境には道路標識」があり、また「市や町の境界表」にも目が向くから県が変わり、またちがう市や町に入ったことがわかる。だから「ここから○○県や□□市になるなあ」という興味・関心がわくが道路標示板にはそれほど強い面白みがないのである。

ところが旧山陽道(西国街道)を歩いていると旧道などに残っている石柱の国境碑には歴史を感じさせるから注目し関心を持って見ている。たとえば備後国と備中国の国境は神辺町の上御領と井原市の高屋で接しており、そこには大きな国境碑が建っている。これは以前に山陽道歩きで確認しているし、その前からみなさんはよく知っておられるから紹介するまでもないと思う。

ところで「備後国と安芸国の国境」はどこなのか?と聞かれたことがある。またそこには国境碑があるのか?これも気になり、知りたいことでもある。

安芸と備後の国境は三原市街の西端になる。県立広島大学三原キャンパスの北側を通っている道が旧山陽道でそこが安芸と備後の国境になっていて、そこには「国境の碑と道標」が二基立てられている。一基の国境碑は「明治十一年」の再建となっている。もう一基は大学側の道にあり「大正三年」の刻銘の道標である。旧山陽道一人歩きの時に、この国境の碑を確認している。(その碑については写真を見てほしい)

場所は県立大学の校門の坂を下ったところが旧道であるから道を挟んで立っている二基の小さな碑を確認することができる。これだけでなく山口県での山陽道一人歩きのときにも「郡境の碑」なども見ている。

広島県の郡境の碑は瀬野から八本松に向かう「大山峠」の山の中に「安芸郡と賀茂郡の境界碑」がある。この峠はかなり険しい道で当時の雰囲気が良く残っている峠であった。

また長州(山口県)と安芸(広島県)の国境(県境)が小瀬川であるが、広島県側では「木野川」と言っている。この木野川渡し跡の近くに両国橋がある。ここを渡って山口県に入るのだが、橋の中央に「広島県」とあり、山口県側には「山口県」とあるから、まさに県境を挟んだ両国橋の名前がピッタリと感じたので「まったくだな~」と納得したのである。さらに関門海峡下をくぐる「関門海底トンネル」を歩いて中央まで行くと道の真中に「山口県、福岡県」の表示が書かれている。「よいしょ」と境界線をまたいで福岡県に入ったがこれも面白いと感じたのである。だが、やっぱり旧山陽道の山中や道のそばある「国境の碑」や「郡境の碑」にはかなわない。

だからこうした境界の碑や昔の道標(道しるべ)については関心があるので見つければ必ず確認することに努めている。

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/042574de08e78c60d6b0a559586a83c8.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/042574de08e78c60d6b0a559586a83c8-150x100.jpg管理人近世近代史「備陽史探訪:184号」より 岡田 宏一郎 安芸国と備後国の国境の碑 東海道歩きや旧山陽道(西国街道)歩きで「国境の碑」や「境界に関した表示」を見ていることから境界の碑や表示には関心がある。国道をバスや車で走っていると「県境には道路標識」があり、また「市や町の境界表」にも目が向くから県が変わり、またちがう市や町に入ったことがわかる。だから「ここから○○県や□□市になるなあ」という興味・関心がわくが道路標示板にはそれほど強い面白みがないのである。 ところが旧山陽道(西国街道)を歩いていると旧道などに残っている石柱の国境碑には歴史を感じさせるから注目し関心を持って見ている。たとえば備後国と備中国の国境は神辺町の上御領と井原市の高屋で接しており、そこには大きな国境碑が建っている。これは以前に山陽道歩きで確認しているし、その前からみなさんはよく知っておられるから紹介するまでもないと思う。 ところで「備後国と安芸国の国境」はどこなのか?と聞かれたことがある。またそこには国境碑があるのか?これも気になり、知りたいことでもある。 安芸と備後の国境は三原市街の西端になる。県立広島大学三原キャンパスの北側を通っている道が旧山陽道でそこが安芸と備後の国境になっていて、そこには「国境の碑と道標」が二基立てられている。一基の国境碑は「明治十一年」の再建となっている。もう一基は大学側の道にあり「大正三年」の刻銘の道標である。旧山陽道一人歩きの時に、この国境の碑を確認している。(その碑については写真を見てほしい) 場所は県立大学の校門の坂を下ったところが旧道であるから道を挟んで立っている二基の小さな碑を確認することができる。これだけでなく山口県での山陽道一人歩きのときにも「郡境の碑」なども見ている。 広島県の郡境の碑は瀬野から八本松に向かう「大山峠」の山の中に「安芸郡と賀茂郡の境界碑」がある。この峠はかなり険しい道で当時の雰囲気が良く残っている峠であった。 また長州(山口県)と安芸(広島県)の国境(県境)が小瀬川であるが、広島県側では「木野川」と言っている。この木野川渡し跡の近くに両国橋がある。ここを渡って山口県に入るのだが、橋の中央に「広島県」とあり、山口県側には「山口県」とあるから、まさに県境を挟んだ両国橋の名前がピッタリと感じたので「まったくだな~」と納得したのである。さらに関門海峡下をくぐる「関門海底トンネル」を歩いて中央まで行くと道の真中に「山口県、福岡県」の表示が書かれている。「よいしょ」と境界線をまたいで福岡県に入ったがこれも面白いと感じたのである。だが、やっぱり旧山陽道の山中や道のそばある「国境の碑」や「郡境の碑」にはかなわない。 だからこうした境界の碑や昔の道標(道しるべ)については関心があるので見つければ必ず確認することに努めている。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
備陽史探訪の会近世近代史部会では「近世福山の歴史を学ぶ」と題した定期的な勉強会を行っています。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。 近世福山の歴史を学ぶ