2011年12月01日

近江観音寺城

備陽史探訪:163号」より

末森 清司

観音寺城は近江守護近江源氏の嫡流佐々木六角氏の本城として築かれたと伝える。

総石垣造りの巨大な山城として著名な城跡であり日本五大山城のひとつでもある。

城は琵琶湖中央東湖岸に位置する雄大な独立丘陵「繖山」の屋根上及び南斜面に本丸を要として扇形鱗状の様な石垣造りの曲輪が無数築かれている。

繖山の遺構は雑木。竹薮、雑草に隠され大部分は観る事が出来ない。

私も度々探訪しているが城全体の縄張り構造が今だにつかめず謎多き城だと強く感じており探索すればする程、謎が深まってくるので楽しみが増し新たな発見もある。

私が城跡を探訪して思った事。

城としての縄張りがさっぱり解らない。城全体の防御性としての曲輪配置の纏りが見えないが、防備が劣っているとは思えない。要所の備えは見事な造りとなっている。

山上南斜面に連なる石垣造りの曲輪群。左右にのびる稜線尾根上を石垣上塁で固め、内側に雛壇状に曲輪が扇形に連なり山頂から上下道を軸にして碁盤目状に曲輪が配置され、近年山の斜面を削平し造成住宅団地並の景観を擁しているが、上下道ごとに多数の地区に分れ全体の纏りが欠けている。ナゼこの様な構築になったのか?

佐々木六角氏の宿老(重臣)旗頭武将の武家屋敷群をそのまま山上南斜面にもってきて築きあげた様にみえるがこれは防寒、暴風、陽当りの面を考慮したのか?

曲輪群の石垣について

麓の御屋形邸跡や山上の本丸、平井丸、落合丸、池田丸等の各曲輪の大石垣はいつ頃から築かれ完成したのか?私考だが、築城は文明年間と伝えるが享禄期の頃から石積み使用の曲輪が築かれ始め弘治、永禄の頃には今の姿になったのではないか?

この石垣を築いた石工衆はどこの人達だったのだろうか?近江穴太石工衆、金剛輪寺の石工衆とも伝えるが、石工職人衆の技術の高さに驚嘆している。

城跡の見所

◎石寺麓にある御屋形邸跡。
◎観音正寺。
◎本丸を中心とした西尾根に連なる 巨大石垣の曲輪群と太夫殿井戸。
◎東尾根上にある布施淡路丸。
◎桑実寺。

各遺構は高い土塁に囲まれた広大な敷地の曲輪、巨石積みの石垣、石門の虎口、筋違い虎口、枡形や横矢遺構、見付の石垣、各曲輪の石段や敷石の連結路等々。

雑木、竹薮、雑草で見えにくいが竪土塁、竪堀を有し、尾根には堀切で仕切られ馬背になっており、防備備えはしっかりとしている。

安土築城以前の近江石工衆の高度な石垣造りの築城技術の様子を観る事が出来る。

会員の皆様、山城好き、石垣好きの人は、彦根城、安土城、小谷城だけでなく、ぜひ中世の総石垣造りの観音寺城跡にも足をのばし見学する事をおすすめします。

私の体が空いておりましたら案内説明をしますので声をかけてください。

今年の一泊旅行では末森さんの案内で観音寺城に登りました。

末森さんご苦労様でした。

(事務局)