1989年04月18日

正福寺裏山二号古墳の墳丘測量が完了

備陽史探訪:43号」より

篠原 芳秀

正福寺裏山一号古墳に次いで、本年一、二月に二号古墳の形を調べる測量を行ないましたので報告します。

正福寺裏山一・二号古墳は福山市加茂町大字下加茂に所在し、『福山市史古代中世編』に「正福寺山前方後円墳」として、二基の古墳が記述されているものに当たります。なお、広島県立府中高等学校生徒会地歴部『古代吉備品治国の古墳について』では「合の坪前方後円墳」として報告されています。

加茂町は芦田川が形成した神辺平野の北縁にあります。地形は芦田川の支流である加茂川が中央を北から南に流れ、川を挟んで両側に低丘陵が延びています。この低丘陵には多数の古墳が分布しており、加茂町は広島県東南部における古墳密集地帯の中心的な位置を占めています。正福寺裏山一・二号古墳もこの一角にあり、加茂川の西側丘陵から東に派生した尾根上を利用して築かれています。どちらの古墳からも眺望は極めて良好です。

第一図 古墳位置図

第一図 古墳位置図

1.正福寺裏山一号古墳2.正福寺裏山二号古墳3.石鎚山一号古墳

一号古墳は一九八四年に墳丘測量を行ない、『山城志』第八集に紹介しています。この中で、現地形からは前方後円墳と見ることは難しく、円墳(直径十五~十八メートル・高さニメートル前後)の可能性が高いことを明らかにしました。

さて、二号古墳は一号古墳より十八メートル低い、標高約七十メートルにあり、水田との比高は約二十メートルです。墳丘測量の成果は第二図に示すとおりで、古墳の形は、前方部の西側が崩れていますが、前方後方墳であることが明らかになりました。古墳の大きさは、全長が二十九メートル、後方部が長さ十七メートル・幅十三メートル・一局さ三メートル、前方部が長さ十二メートル・幅七メートル・高さ一・五メートルを測ります。葺石と埴輪片が散布していると記録されていますが、現状では明らかにできませんでした。また、後方部をボーリングステッキにより確認したところでは石材はなく、本棺直葬あるいは粘土椰に埋葬されていたものと思われます。

現在、広島県内で確認されている前方後方墳は、湯釜古墳(広島市)・上矢口古墳(広島市)・善法寺九号古墳(二次市)・千ガ寺一号古墳(庄原市)で、前方後方墳の可能性を有するものとしては宇那木山二号古墳(広島市)・蔵王原古墳(福山市)があります。しかし、前方後方墳の数は全ての古墳数、また前方後円墳の数と比較しても極めて少ないものです。この傾向は全国的に見ても同様です。

前方後方墳は古墳時代の始め頃、吉備の中心部(岡山県)で主要な古墳に見られ、しだいに各地へ広がっていったことが指摘されています。ただ、全容の明らかになった前方後方墳は数少なく、まだまだ検討すべき点を多く残しています。

正福寺裏山二号古墳は、広島県東南部の中心的な位置にあり、全長二十九メートルほどの古墳ではありますが、前方後方墳という特異な墳形を呈しており、当地域の古墳時代の有様を考える上で極めて重要な位置を占めることが明らかになりました。古墳の中軸線の延長線上、南東方向に当たる加茂川東側の尾根上には中国製の斜縁二神三獣鏡などが副葬されていた石鎚山一号古墳があり、これと何らかの関係があったことも推考されます。

古墳の測量では、福山葦陽高校郷土史研究部員・府中高校地歴部員・本会員など多くの方々の協力を得ました。記して感謝の意を表します。

今後も古墳時代の遺跡分布図や墳丘測量図などの基本的な資料を作成し、検討を加え、歴史の実相に迫って行きたいと考えています。皆様のいっそうの御支援をお願いします。

第二図 正福寺裏山二号古墳測量図

第二図 正福寺裏山二号古墳測量図