1999年6月6日発行
―平賀氏と新庄小早川氏の史跡―
平賀氏の盛衰
毛利・小早川氏と並ぶ安芸の有力国人領主であった平賀氏は、元々出羽国平鹿郡を本拠とした東国武士である。安芸国高屋保(現東広島市)に所領を得た契機は明らかではないが、鎌倉時代後期の弘安元年(一二七八)一二月五日、平賀惟長は「安芸国高屋保、上総国さくらやの郷、越中国田條」を「一子なきにより」舎弟惟到に譲っており、此れ以前であったことは確かである。以後、『平賀家文書』によると、以上三カ所の所領は、いなかったことから「あきのあま御せん」すなわち尼「きやうくわん」に譲られた…
<目次>
- 例会スケジュール
- 木原家住宅
- 平賀氏の盛衰
- 御園宇城跡
- 平賀氏の墓地
- 造果保
- 本宮八幡神社
- 乃美氏
- 黒谷暮坪一号古墳
- 振鞘古戦場
- 涼梨城跡(堀城跡)
- 涼梨氏について
- 新庄小早川氏(涼梨氏)略系図
- 周辺地図
https://bingo-history.net/archives/8796https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/07/7cbf45deb8acaf3a57ea81645f4d0c40.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/07/7cbf45deb8acaf3a57ea81645f4d0c40-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー1999年6月6日発行
―平賀氏と新庄小早川氏の史跡― 平賀氏の盛衰 毛利・小早川氏と並ぶ安芸の有力国人領主であった平賀氏は、元々出羽国平鹿郡を本拠とした東国武士である。安芸国高屋保(現東広島市)に所領を得た契機は明らかではないが、鎌倉時代後期の弘安元年(一二七八)一二月五日、平賀惟長は「安芸国高屋保、上総国さくらやの郷、越中国田條」を「一子なきにより」舎弟惟到に譲っており、此れ以前であったことは確かである。以後、『平賀家文書』によると、以上三カ所の所領は、いなかったことから「あきのあま御せん」すなわち尼「きやうくわん」に譲られた… <目次> 例会スケジュール
木原家住宅
平賀氏の盛衰
御園宇城跡
平賀氏の墓地
造果保
本宮八幡神社
乃美氏
黒谷暮坪一号古墳
振鞘古戦場
涼梨城跡(堀城跡)
涼梨氏について
新庄小早川氏(涼梨氏)略系図
周辺地図 賀茂台地に中世武士の面影を訪ねる管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会