中世山城、戦の備えと祭りに視る政
2004年2月1日発行
御調の概略
今回のバス例会は御調町と三原市八幡地区を取り上げました。この地域は、現在では三原市と御調町に行政区域が分かれていますが、元は一つの行政単位「御調郡」域です。
御調郡は古代備後国十四郡の一つで初見は、平城京出土木簡に「備後國御調郡諌山里」とあるのが始めです。
御調郡は「水調・三豆木・三調」と記した文書も散見でき現御調町は郡域の北部に位置し芦田川の支流御調川が町の中心部を東流し、御調川に沿うように古代山陽道が通り又、南北には国道一八四号線が通っており、町の中心部「市」周辺は古代からの交通の要地であり、中世には御調町北隣の甲山地域に立庄されていた大田庄と大田庄倉敷地尾道との間に位置し中間の重要地でもあった…
<目次>
- バス例会予定行程割
- 御調の概略
- 牛の皮城址
- 牛の皮城下釈迦堂 木造釈迦如来像
- 御調八幡官(御調別宮・八幡神社)
- 本郷平廃寺跡
- 照源寺 木造釈迦涅槃像
- 本照寺裏手五輸塔群
- 圓鍔勝三記念館
- 牛の皮城略測修正図
https://bingo-history.net/archives/5009https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/08/1d8c8cbc77be652b6d440353d633c005.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/08/1d8c8cbc77be652b6d440353d633c005-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー例会中世山城、戦の備えと祭りに視る政
2004年2月1日発行 御調の概略 今回のバス例会は御調町と三原市八幡地区を取り上げました。この地域は、現在では三原市と御調町に行政区域が分かれていますが、元は一つの行政単位「御調郡」域です。 御調郡は古代備後国十四郡の一つで初見は、平城京出土木簡に「備後國御調郡諌山里」とあるのが始めです。 御調郡は「水調・三豆木・三調」と記した文書も散見でき現御調町は郡域の北部に位置し芦田川の支流御調川が町の中心部を東流し、御調川に沿うように古代山陽道が通り又、南北には国道一八四号線が通っており、町の中心部「市」周辺は古代からの交通の要地であり、中世には御調町北隣の甲山地域に立庄されていた大田庄と大田庄倉敷地尾道との間に位置し中間の重要地でもあった… <目次> バス例会予定行程割
御調の概略
牛の皮城址
牛の皮城下釈迦堂 木造釈迦如来像
御調八幡官(御調別宮・八幡神社)
本郷平廃寺跡
照源寺 木造釈迦涅槃像
本照寺裏手五輸塔群
圓鍔勝三記念館
牛の皮城略測修正図 平成十六年初登城と初参り管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会