だれも知らないくらしき(岡山県倉敷市)

1999年9月26日発行

だれも知らないくらしき
下津井城跡

下津井城は下津井港背後の城山山頂部にある連郭式の近世城郭遺跡で、東西約560mにわたつて城郭施設が構築され、その遺構がよく残っている。

昭和43年(1968)岡山県の史跡に指定された。

城の来歴を示す明確な古文書はないが、宇喜多直家の子秀家が、天正年間(1573年~1591)にすでに築かれた砦を慶長年間(1592年~1595)に軍事・海運の要衝として大改築して出城としたと伝えられる。関ケ原の戦い後、小早川氏の後を受けて池田氏の備前領有が始まると、慶長8年(1603)池田長政(池田輝政の末弟)が3万2千石を得て下津井城主となり、常山城の施設を移築して慶長11年(1606)に至って近世城郭の形態を、整えた…


<目次>

  • 探訪スケジュール
  • 注意事項
  • 遍照院
  • 遍照院三重塔
  • 【参考】遍照院聖観音立像
  • 藤戸寺
  • 藤戸寺石造五重層塔
  • 【参考】藤戸合戦
  • 【参考】謡曲「藤戸」
  • 総願寺跡宝塔
  • 【参考】王子権現信仰
  • 下津井城跡
  • 《下津井城中心部縄張図・周辺地形図》
  • 宝島寺
  • 【参考】寂厳
  • 【参考】宝島寺菩薩頭部
  • 箆取神社
  • 厄神社と薄田泣薫詩碑
  • 【参考】薄田泣薫
  • 《一般的な三重塔の各部の名称》
  • 《石塔の種類》
https://bingo-history.net/wp-content/uploads/1996/09/IMG_0004.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/1996/09/IMG_0004-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー例会,史跡めぐり,資料1999年9月26日発行 下津井城跡 下津井城は下津井港背後の城山山頂部にある連郭式の近世城郭遺跡で、東西約560mにわたつて城郭施設が構築され、その遺構がよく残っている。 昭和43年(1968)岡山県の史跡に指定された。 城の来歴を示す明確な古文書はないが、宇喜多直家の子秀家が、天正年間(1573年~1591)にすでに築かれた砦を慶長年間(1592年~1595)に軍事・海運の要衝として大改築して出城としたと伝えられる。関ケ原の戦い後、小早川氏の後を受けて池田氏の備前領有が始まると、慶長8年(1603)池田長政(池田輝政の末弟)が3万2千石を得て下津井城主となり、常山城の施設を移築して慶長11年(1606)に至って近世城郭の形態を、整えた… <目次> 探訪スケジュール 注意事項 遍照院 遍照院三重塔 【参考】遍照院聖観音立像 藤戸寺 藤戸寺石造五重層塔 【参考】藤戸合戦 【参考】謡曲「藤戸」 総願寺跡宝塔 【参考】王子権現信仰 下津井城跡 《下津井城中心部縄張図・周辺地形図》 宝島寺 【参考】寂厳 【参考】宝島寺菩薩頭部 箆取神社 厄神社と薄田泣薫詩碑 【参考】薄田泣薫 《一般的な三重塔の各部の名称》 《石塔の種類》 だれも知らないくらしき備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い