2月4日【ぶら探訪】坪生庄の故地を歩く 開催
福山北東部の坪生は平安時代坪生の庄と呼ばれる藤原摂関家の広大な荘園でした。今日はその名残を訪ねてその中心部を歩きました。
https://bingo-history.net/archives/26933https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/02/DSCN0365-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/02/DSCN0365-150x100.jpg活動報告福山北東部の坪生は平安時代坪生の庄と呼ばれる藤原摂関家の広大な荘園でした。今日はその名残を訪ねてその中心部を歩きました。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会今日は地元でもあり坪生に詳しい別所さんを講師に坪生を案内してもらいます。50人を超える参加者があり皆さん期待されていたことがうかがえます。
開発領主の坪生氏の墓と伝わる「おつぼうさん」で。整備され五輪塔など中世石造物がまとめられています。
現在坪生で唯一の寺である西楽寺で。坪生氏の菩提寺であったと伝わるが、現在の建物は庄屋屋敷を移築したもの。山の斜面を整備した広大な庭園も素晴らしい。
滑池にほとりにある古代窯跡で。坪生には窯業に最適な土があり古代窯業が盛んであった。ここで焼かれた瓦が京都で確認されている。
坪生の庄の総鎮守であった新中八幡神社で。坪生の庄が解体した時に神輿や御殿は打ち砕かれ3つの八幡宮に分裂したと西備名区に書かれている。
現在は坪生江戸野地区の鎮守として祀られている。
現在の坪生の総鎮守である神森神社。境内は旧坪生小学校跡地でもある。新中八幡神社に比べれば格段に立派である。新中八幡神社も情緒があって雰囲気としてはそちらがいい。
ということで公民館に帰着して解散となりました。別所さん今日はありがとうございました。田園と団地の混在する坪生の現状も良くわかりました。