3月4日【ぶら探訪】その74 座床・四ツ樋周辺をディープに歩く 開催

シリーズ74回目をむかえた「ぶら探訪」

近世近代史部会 瀬良さんの案内で福山城外堀と海をつなぐ入川周辺をディープに探ってきました。

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/03/20230304_094506-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/03/20230304_094506-150x100.jpg行事管理活動報告シリーズ74回目をむかえた「ぶら探訪」 近世近代史部会 瀬良さんの案内で福山城外堀と海をつなぐ入川周辺をディープに探ってきました。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
集合場所は、江戸時代には入川のど真ん中だった福山みなと公園です。

集合場所は、江戸時代には入川のど真ん中だった福山みなと公園です。

開会挨拶の後、今回の講師である瀬良さんからルート説明と入川の範囲の説明をうけます。

開会挨拶の後、今回の講師である瀬良さんからルート説明と入川の範囲の説明をうけます。

金毘羅宮と川口新八十八ヵ所では、川口の新涯の土手に八十八ヶ所が祀られた事や、四国の金毘羅さんに向う船

金毘羅宮と川口新八十八ヵ所では、川口の新涯の土手に八十八ヶ所が祀られた事や、四国の金毘羅さんに向う船がこの辺りからも出ていたと。

リーデンローズとポートプラザをむすぶ陸橋から、座床という藩の船の係留地で福山藩の軍港の跡地。古座床と

リーデンローズとポートプラザをむすぶ陸橋から、座床という藩の船の係留地で福山藩の軍港の跡地。古座床と後で造られた座床。それぞれの時期の船番所を確認します。

福山で最初のコンクリート舗装残欠。入川沿いの通りでは、20年ほど前まではよく見かけたコンクリート舗装

福山で最初のコンクリート舗装残欠。
入川沿いの通りでは、20年ほど前まではよく見かけたコンクリート舗装ですが、ハッとしました。どんどんなくなってますね。

四ツ樋 コンクリート製の建屋の下にまさに樋門が四つありました。干拓地に溜まった水を抜くために造られた

四ツ樋 コンクリート製の建屋の下にまさに樋門が四つありました。
干拓地に溜まった水を抜くために造られた樋門で、排出のための色々な工夫がうかがえます。

現代の四ツ樋こと中央ポンプ場。大雨の時に市街地の雨水排出を行う施設です。ここでは、ポンプ場の職員さん

現代の四ツ樋こと中央ポンプ場。
大雨の時に市街地の雨水排出を行う施設です。ここでは、ポンプ場の職員さんに説明いただきました。
大きなポンプが2基あります。これであの大雨をしのいでいたと思うと、ポンプに感謝です。

集合場所に戻り解散となります。西側に見える福山市立大学の手前の石塁の位置は、昭和の頃に桟橋があった位

集合場所に戻り解散となります。
西側に見える福山市立大学の手前の石塁の位置は、昭和の頃に桟橋があった位置に造られているようです。
桟橋を意識した石塁なのかはわかりませんが、瀬良さんの日常の中にある風景から歴史を紐解く視点を楽しんだ回でした。