2月18日【現地学習】中世を読む390回「徳田要害山城跡」開催
備後を中心とした中世城館を体感する
「中世を読む」現地学習
390回目は、曲輪全周土塁と折、折、時々虎口の「徳田要害山城跡」を体感してきました。
https://bingo-history.net/archives/26967https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/02/DSC_2021-1024x635.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/02/DSC_2021-150x100.jpg活動報告備後を中心とした中世城館を体感する 「中世を読む」現地学習 390回目は、曲輪全周土塁と折、折、時々虎口の「徳田要害山城跡」を体感してきました。行事管理行事管理 jimu@bingo-history.netAuthor備陽史探訪の会今回は、戦国時代備後南部で勃発した「神辺合戦」に関係する山城といわれている広島県福山市神辺町にある要害山城を体感してきました。
現在、西側中腹にある天満神社裏から山頂の城跡への遊歩道が整備されています。
この遊歩道を登って行くと。道で少し削らられた外側土塁と横堀がありました。
横堀は、草がしげって少ししか行けない状態ですが、切岸の上の内側土塁は出っ張っていたり、引っ込んでいたりで、横堀に立っていると狙われている感がありますね。
内側の土塁の切れ目虎口から上にあがると、全周を土塁に囲まれた曲輪がありました。
この虎口部分は、土塁が折れていたり、食い違っていたり、外側に小さな曲輪があったりで、福山市の城跡では珍しい構造のようです。
西方向の眺めは高い木が少なく、よく晴れた日には相方城や大谷城までみえるようですが、雨上がりで残念です。
城主については、宮氏の伝承があるようですが、後に神辺合戦の時に大内方の神辺城に対する陣城として大内方が構築し、周辺にはあまり見られない、虎口、横堀、土塁を備えた城となったのではないかと説明がありました。
西側の天満神社で中世史部会副部会長の大場さんの締めの挨拶で無事おひらき。
解散とはいえ湯田村駅まではほとんどの方が同じ行動となります。
担当の杉本も途中のタコ焼き屋さんに誘惑されているようでしたが。
もう1か所途中の誘惑が。
要害山城跡から南西にのびた丘陵にある神辺旭高校の敷地部分です。安芸丸といわれ、神辺合戦の時安芸の国衆が陣を張った場所といわれているようです。