3月16日【中世史部会】 大門枝廣城 現地学習
中世史部会では、大門の代表的山城である枝廣城について現地学習会を行いました。
大門駅側からは標高差100m近い標高差のある山城ですが、幕山側から入ると簡単に入れます。
大門高校裏に車を止めて出発。案内は中世史部会杉本部会長です。
こちらからだと、ほとんど標高差もなく団地の裏山と言った風情の山ですが、
現地に立ってみると、当時の大門湾を一望でき、大門から幕山に入る2本の主要な道を押さえる、
重要な地点にあった城であることがよくわかります。
枝廣城から竜王山に行く途中、幕山や大門団地が一望できる場所があります。
地形はほとんど変わり、当時を想像するのは難しいですが、
ここから坪生要害とされている清水山等周辺の山城等位置関係が良く把握できます。
五ヶ竜王山城と言われる竜王山から大門湾を望む。枝廣城も指呼の間に見え、四国山地まで見渡せます。
この竜王山は大部分が団地造成で削られ、それ以外も改変が激しく遺構のようなものは確認できませんでした。
ここと枝廣城との間に大門から幕山への道が通っていることから見ても、
この山塊一帯が一つの山城として機能していたことを想像できる学習会でした。
大気の透明度もよく、最高の山歩きでした。
https://bingo-history.net/archives/22025https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/IMG_6528-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/IMG_6528-150x100.jpg活動報告中世史部会では、大門の代表的山城である枝廣城について現地学習会を行いました。 大門駅側からは標高差100m近い標高差のある山城ですが、幕山側から入ると簡単に入れます。 大門高校裏に車を止めて出発。案内は中世史部会杉本部会長です。 こちらからだと、ほとんど標高差もなく団地の裏山と言った風情の山ですが、 現地に立ってみると、当時の大門湾を一望でき、大門から幕山に入る2本の主要な道を押さえる、 重要な地点にあった城であることがよくわかります。 枝廣城から竜王山に行く途中、幕山や大門団地が一望できる場所があります。 地形はほとんど変わり、当時を想像するのは難しいですが、 ここから坪生要害とされている清水山等周辺の山城等位置関係が良く把握できます。 五ヶ竜王山城と言われる竜王山から大門湾を望む。枝廣城も指呼の間に見え、四国山地まで見渡せます。 この竜王山は大部分が団地造成で削られ、それ以外も改変が激しく遺構のようなものは確認できませんでした。 ここと枝廣城との間に大門から幕山への道が通っていることから見ても、 この山塊一帯が一つの山城として機能していたことを想像できる学習会でした。 大気の透明度もよく、最高の山歩きでした。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会