お花見は如何?

「春爛漫」 満開の桜が咲き誇る光景にぴったりの言葉ですネ。

ここ福山城にもソメイヨシノ、サトザクラ、ヤマザクラなど、約500本の桜があり、この言葉が似合う桜の見頃も間近で、今週末から来週にかけて一気に満開を迎えるかの気配です。

 満開の桜で埋め尽くされたお城は風情たっぷりで、お城に桜は欠かせないものとなっている感が強い今日、ついつい江戸時代のお殿様も天守閣から咲き誇る桜を眺めたのか、と想像してしまいます。

しかし、それは間違いで、封建制度が崩壊し、明治以降に城跡の公園化を進める一環で桜を植樹したのが定着したもので、それ以前には、お城に桜が植えてあったほうが希だった様です。

また、歴史に登場する桜の花見といえば、太閤の花見と言われた豊臣秀吉の「醍醐の花見」が有名で、これを機に庶民の間にもお花見の風習が広がっていったと言われていますが、実は花見の起源はもっと古く、奈良時代に貴族の行事として始まったと言われ、当時は桜でなく、中国から伝来したばかりの梅を鑑賞していたようです。

平安時代に入ると、万葉集では梅の花の歌が桜よりはるかに多いのですが、古今和歌集の頃には桜を詠んだ詩の方が多くなっています。

当時の平安貴族の好みが移っていったということでしょうネ。

百人一首に選ばれている小野小町の有名な 「花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」で詠まれている花も梅でなく桜のことだそうです。

ところで、我が備陽史探訪の会でも4月6日の土曜日、【ぶら探訪(拾壱)水呑の古往還を歩く】の開催に引き続き正午から、桜の名所として有名な水呑八幡神社周辺で「お花見」を開催します。

今年は桜の開花がやや早めなので、当日まで桜の花が持ち堪えてくれるかどうか心配ですが、仮に花が散っていたとして、その時はその時で、歴史談義に満開の花を咲かせましょう。

当日のぶら探訪共々、参加申し込みはこちらから

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/mark.pnghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/mark-150x100.png管理人事務局だより「春爛漫」 満開の桜が咲き誇る光景にぴったりの言葉ですネ。 ここ福山城にもソメイヨシノ、サトザクラ、ヤマザクラなど、約500本の桜があり、この言葉が似合う桜の見頃も間近で、今週末から来週にかけて一気に満開を迎えるかの気配です。  満開の桜で埋め尽くされたお城は風情たっぷりで、お城に桜は欠かせないものとなっている感が強い今日、ついつい江戸時代のお殿様も天守閣から咲き誇る桜を眺めたのか、と想像してしまいます。 しかし、それは間違いで、封建制度が崩壊し、明治以降に城跡の公園化を進める一環で桜を植樹したのが定着したもので、それ以前には、お城に桜が植えてあったほうが希だった様です。 また、歴史に登場する桜の花見といえば、太閤の花見と言われた豊臣秀吉の「醍醐の花見」が有名で、これを機に庶民の間にもお花見の風習が広がっていったと言われていますが、実は花見の起源はもっと古く、奈良時代に貴族の行事として始まったと言われ、当時は桜でなく、中国から伝来したばかりの梅を鑑賞していたようです。 平安時代に入ると、万葉集では梅の花の歌が桜よりはるかに多いのですが、古今和歌集の頃には桜を詠んだ詩の方が多くなっています。 当時の平安貴族の好みが移っていったということでしょうネ。 百人一首に選ばれている小野小町の有名な 「花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」で詠まれている花も梅でなく桜のことだそうです。 ところで、我が備陽史探訪の会でも4月6日の土曜日、【ぶら探訪(拾壱)水呑の古往還を歩く】の開催に引き続き正午から、桜の名所として有名な水呑八幡神社周辺で「お花見」を開催します。 今年は桜の開花がやや早めなので、当日まで桜の花が持ち堪えてくれるかどうか心配ですが、仮に花が散っていたとして、その時はその時で、歴史談義に満開の花を咲かせましょう。 当日のぶら探訪共々、参加申し込みはこちらから備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い