謎の石櫃―福山市沼隈町山南―
かつて、福山地方には古墳時代後期の石棺が3基存在するといわれた(福山市史上巻)。
1、北塚石棺(駅家町服部永谷)
2、十四山出土石棺(新市町戸手)
3、山南石棺(沼隈町山南)
この内、北塚石棺は石槨であるという見解もあるが県の史跡に指定されて現存。
県史跡北塚古墳
2の十四山石棺は祟りがあるとして、昭和50年ごろ某寺の境内に埋められて、見ることは出来ない。
今は見ることが出来ない十四山石棺
そして、問題は山南の石棺。福山市史上巻では古墳時代の石棺として紹介されたが、江戸時代の豪農何鹿桑田家にあった「銭櫃」とする見解もある。さて、真相は如何に…。今も山南小学校の校舎裏に水槽として使われているので見ることは可能。
福山市史上巻で古墳時代の石棺として紹介された「山南石棺」
山南「石棺」の現状
https://bingo-history.net/archives/22196https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/04/s1.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/04/s1-150x100.jpg事務局だよりかつて、福山地方には古墳時代後期の石棺が3基存在するといわれた(福山市史上巻)。 1、北塚石棺(駅家町服部永谷) 2、十四山出土石棺(新市町戸手) 3、山南石棺(沼隈町山南) この内、北塚石棺は石槨であるという見解もあるが県の史跡に指定されて現存。 県史跡北塚古墳 2の十四山石棺は祟りがあるとして、昭和50年ごろ某寺の境内に埋められて、見ることは出来ない。 今は見ることが出来ない十四山石棺 そして、問題は山南の石棺。福山市史上巻では古墳時代の石棺として紹介されたが、江戸時代の豪農何鹿桑田家にあった「銭櫃」とする見解もある。さて、真相は如何に…。今も山南小学校の校舎裏に水槽として使われているので見ることは可能。 福山市史上巻で古墳時代の石棺として紹介された「山南石棺」 山南「石棺」の現状管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会