10月14日 築城400年記念事業「シンポジウム福山城」 開催

第1回として「福山城の謎に迫る」というテーマでパネリストによる基調講演の後、活発な討議が行われました。

 

築城400年を迎える福山城、多くの謎が残っています。今回は県内外の城郭研究者を招き、通説を検討、その問題点を追求しました。
田口会長とパネリストの皆さん

 

最初に九州大学の木島先生の近世城郭という観点から見た福山城について。
非常にしっかり近世城郭として造られている南側と、反面手薄な北側防備。
これは他藩の城などと考えあわせても、通説の幕府に遠慮してそうしたとは考えにくい。
逆に各藩ごとの思想で造られており、幕府は口を出せなかった(出さなかった)と思われる。
元和偃武の時代について各藩の考え方の差。なるほど・・・そういう考え方も。

 

次に福山城の櫓の名称について、福山城研究家の野毛さんの講演がありました。
結局通説で呼ばれている名称は資料により異なるものが多いので注意が必要。

 

櫓については神辺櫓と呼ばれる櫓について、同じく福山城研究家の田中さんから講演。
結局水野勝成が移封されて来た時に神辺城に矢倉が残っていたのかどうかも疑問。
ただ古い形式の櫓も存在することから完全に否定もできないとのことでした。

 

最後に福山市文化振興課の山岡さんから、福山城北面の切岸の調査結果について報告がありました。
石垣の矢穴や、石垣に付いた刻印についての調査結果もあり非常に参考になりました。

 

最後に多くの人から質問が出され、活発な議論が展開されました。
非常に充実したシンポジュウムで皆さん満足されたことでしょう。

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2018/10/12-1024x683.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2018/10/12-150x100.jpgSera活動報告第1回として「福山城の謎に迫る」というテーマでパネリストによる基調講演の後、活発な討議が行われました。   築城400年を迎える福山城、多くの謎が残っています。今回は県内外の城郭研究者を招き、通説を検討、その問題点を追求しました。 田口会長とパネリストの皆さん   最初に九州大学の木島先生の近世城郭という観点から見た福山城について。 非常にしっかり近世城郭として造られている南側と、反面手薄な北側防備。 これは他藩の城などと考えあわせても、通説の幕府に遠慮してそうしたとは考えにくい。 逆に各藩ごとの思想で造られており、幕府は口を出せなかった(出さなかった)と思われる。 元和偃武の時代について各藩の考え方の差。なるほど・・・そういう考え方も。   次に福山城の櫓の名称について、福山城研究家の野毛さんの講演がありました。 結局通説で呼ばれている名称は資料により異なるものが多いので注意が必要。   櫓については神辺櫓と呼ばれる櫓について、同じく福山城研究家の田中さんから講演。 結局水野勝成が移封されて来た時に神辺城に矢倉が残っていたのかどうかも疑問。 ただ古い形式の櫓も存在することから完全に否定もできないとのことでした。   最後に福山市文化振興課の山岡さんから、福山城北面の切岸の調査結果について報告がありました。 石垣の矢穴や、石垣に付いた刻印についての調査結果もあり非常に参考になりました。   最後に多くの人から質問が出され、活発な議論が展開されました。 非常に充実したシンポジュウムで皆さん満足されたことでしょう。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い