2005年06月15日

比古佐須伎神社(瀬戸町志田原の磐座信仰)

備陽史探訪:124号」より

田口 義之

太古、日本にピラミッドがあったという説がある。身近で有名なのは、庄原のビラミッドだ。葦嶽山といい、今ではちょっとした観光地になっていて、道端に庄原市観光協会の立てた案内板が建っている。

庄原のピラミッドは、酒井勝軍という人が昭和九年四月に発見したものだ。京都でピラミッドについて講演した勝軍は、聴衆の一人から庄原にそれらしい山があることを聞き、調査にやって来た。勝軍はもともと牧師で、キリスト教の研究からユダヤ研究にのめりこみ、ピラミッドに関心を持つようになった。彼によればピラミッドとは本来三角形の山を意味する言葉で、エジプトでは、山が無いため、人工的なピラミッドを築いたという。

葦嶽山は正に勝軍が思い描いていた通りの山であった。山頂には「太陽石」や「方位石」などの巨石が残り、信仰の場であったことがうかがわれた。庄原ピラミッドの発見は新聞に取り上げられ、大きな反響を呼んだ。勝軍が五月に二回目の調査に訪れた時には、山道も整備され、茶店まで建っていたという。

勝軍が主張した日本ピラミッド論ほどでないにせよ、日本の古代人が山を信仰の対象としたことは、事実である。福山にもその痕跡が残っている。福山市街地の西南に聳える「彦山」がそれだ。

彦山は標高四三〇メートル、旧市街地では熊ヶ峰(四三八メートル)に次ぐ高峰である。山頂南をかすめてグリーンラインが通っているため、この山が古代入の信仰の対象であったことに気づく人は少ない。だが、瀬戸町や山手町の辺りから望むこの山の姿は秀逸である。辺りにさえぎるものの無い山頂からは、左右になだらかな稜線が裾野を伸ばし、いかにも神の居ます山の感がある。

事実、この山には古代人の信仰の遺跡が残っていた。戦前、考古学者豊元国はこの山に登り、山頂の南に巨石を発見し、「方位石」と名付けた。また、巨石の周囲からは多数の土器が出土し、巨石が古代人の信仰した磐座(いわくら)であることが判明した。

彦山が信仰の山であったことは、現在瀬戸町志田原に鎮座する比古須佐伎神社の旧社地の位置からも確認できる。比古佐須伎神社は式内社という非常に古い由緒を持つ神社で、本来の社地は彦山の山頂近くにあった。それが明治に入って参拝の不便から現在地に移された。旧社地に行ってみると、この神社が本来彦山を御神体として祀っていた神社であることがよくわかる。「山」を御神体とした神社は奈良県の三輪神社が有名だが、日本古来の神社は本来このようなものであった。比古佐須伎神社は明治まで古い神社信仰の形態をとどめていたのである。