3月2日にぶら探訪10回目
「両備軽便鉄道の痕跡を歩く」が行われました。
参加者は最多を記録した前回(第9回)を上回る92名!
![両備軽便鉄道の痕跡を歩く参加者](https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/03/IMG_8285.jpg)
講師の中西氏。初の講師役に前日は緊張して寝られなかったとのことです。そして、このメガホンも新規購入後、初登場なのでした。
![講師の中西氏](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
出発。まずは両備軽便鉄道の始発駅、「両備福山駅」跡へと移動します。
![「両備福山駅」跡へと移動](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
写真中央の石垣が三の丸。両備福山駅跡は写真右手にあった外堀を埋め立てて建てられていました。
![両備福山駅跡](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
両備福山駅跡を北へと進むと薬局があり、ここに鉄道の枕木の土台だったコンクリートが残されています。
![両備軽便鉄道の枕木の土台](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
薬局の建物には案内板が設置されています。
![両備軽便鉄道案内板](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
写真中央右側の建物が土台の残る薬局です。人数の関係で入れ替わりでの見学となりました。
![両備軽便鉄道土台の残る薬局](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
線路跡は住宅の敷地の境界となっていたりと、何気ない住宅地に微かな痕跡が残されています。
![両備軽便鉄道線路跡](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
かつて鉄道が敷地内を通っていた弘宗寺に着きました。なお、現在の弘宗寺は敷地が狭まり鉄道跡からは外れています。
![両備軽便鉄道が敷地内を通っていた弘宗寺](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
本堂に集合。
![弘宗寺本堂](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
ご住職より、寺の由来と水野氏との関係についてのお話がありました。
![弘宗寺ご住職](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20629%20800%22%3E%3C/svg%3E)
本堂の裏手には三河藩主水野忠胤の子、水野勝直の墓があります。
![三河藩主水野忠胤の子、水野勝直の墓](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
吉津川を渡ります。鉄道もここら辺で川を渡っていたそうです。
![吉津川を渡る](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
川を渡ると公園があります。鉄道はこの公園を横切っていました。
![両備軽便鉄道が横切っていた公園](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
吉津駅跡。線路跡を撮影した当時の写真があり、見比べると当時の様子が想像できます。
![両備軽便鉄道吉津駅跡](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
吉津駅のプラットホームだった石垣が残されています。
![吉津駅のプラットホームだった石垣](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20600%20800%22%3E%3C/svg%3E)
その近所に線路らしき金属が残されています。サイズから判断すると軽便鉄道ではなくトロッコ等のものであろうとのことです。
![線路らしき金属はトロッコのもの](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20600%20800%22%3E%3C/svg%3E)
国道313号線の高架下に鉄橋の石垣が残されています。
![国道313号線高架下の両備軽便鉄道鉄橋の橋脚](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
更に北側に進むと、写真左の高架下にも鉄橋の石垣が残されています。
![両備軽便鉄道橋脚跡](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
中央斎場前の公園で解散です。お疲れさまでした!
![中央斎場前の公園で解散](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
https://bingo-history.net/archives/7641両備軽便鉄道の痕跡を歩くhttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/03/IMG_8309.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/03/IMG_8309-150x100.jpg水野藤十郎活動報告3月2日にぶら探訪10回目 「両備軽便鉄道の痕跡を歩く」が行われました。
参加者は最多を記録した前回(第9回)を上回る92名! 講師の中西氏。初の講師役に前日は緊張して寝られなかったとのことです。そして、このメガホンも新規購入後、初登場なのでした。 出発。まずは両備軽便鉄道の始発駅、「両備福山駅」跡へと移動します。 写真中央の石垣が三の丸。両備福山駅跡は写真右手にあった外堀を埋め立てて建てられていました。 両備福山駅跡を北へと進むと薬局があり、ここに鉄道の枕木の土台だったコンクリートが残されています。 薬局の建物には案内板が設置されています。 写真中央右側の建物が土台の残る薬局です。人数の関係で入れ替わりでの見学となりました。 線路跡は住宅の敷地の境界となっていたりと、何気ない住宅地に微かな痕跡が残されています。 かつて鉄道が敷地内を通っていた弘宗寺に着きました。なお、現在の弘宗寺は敷地が狭まり鉄道跡からは外れています。 本堂に集合。 ご住職より、寺の由来と水野氏との関係についてのお話がありました。 本堂の裏手には三河藩主水野忠胤の子、水野勝直の墓があります。 吉津川を渡ります。鉄道もここら辺で川を渡っていたそうです。 川を渡ると公園があります。鉄道はこの公園を横切っていました。 吉津駅跡。線路跡を撮影した当時の写真があり、見比べると当時の様子が想像できます。 吉津駅のプラットホームだった石垣が残されています。 その近所に線路らしき金属が残されています。サイズから判断すると軽便鉄道ではなくトロッコ等のものであろうとのことです。 国道313号線の高架下に鉄橋の石垣が残されています。 更に北側に進むと、写真左の高架下にも鉄橋の石垣が残されています。 中央斎場前の公園で解散です。お疲れさまでした!水野藤十郎 umino@kokokoi.comEditor備陽史探訪の会![備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20210%20140%22%3E%3C/svg%3E)