別所砂留の下見調査について(補足)
3月21日に備陽史探訪の会において、別所砂留の下見調査を行うことは、
3月8日付「別所砂留の下見調査」にて書きました。
参加される方は、申込をお願いいたしますネ。
さて、今日は少し、別所砂留について説明しておきます。
「別所砂留」は福山市芦田町別所地区にある江戸期築造の砂留です。
1番~13番(?)があります。
はっきりいって何番までかよくわかりません。
最近ではさらに2つほど発見されたとか!?
整備が進むにつれ、どんどん増えていってるようなのです。
石積みも古いもので、「堂々川の砂留」より立派なものでは!?とささやかれております。
当初は「三谷家文書」の安政3年(1856)『御用状願書帳』にある「福田村別所砂留普請に3月4日、山手村石築の綱五郎が派遣された」という記述から、安政3年築造とされていましたが、
その後、あらたに、「国藤家文書」から弘化3年(1846)と天保11年(1840)の修繕工事願いの文書が見つかり、さらに古い築造ということがわかりました。
(↓詳しい内容は下記のリンクより)
築造年代については、今後の調査研究が期待されます。
(この中の14番・15番と表記しているのは最近見つかった2つとは別の砂留のようです。)
(会員さんではありませんが、とても詳しく掲載されているので、リンクを張らせていただきます)
国頭家文書から見つかった別所砂留の記事
別所砂留は地元のかたが、何年もかけて整備をすすめてこられました。
将来的に利鎌山城跡と一緒に散策できるようになるといいですね。
どちらも、備後にとって、かけがえのない宝物です。
https://bingo-history.net/archives/22180https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/04/001.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/04/001-150x100.jpg事務局だより3月21日に備陽史探訪の会において、別所砂留の下見調査を行うことは、 3月8日付「別所砂留の下見調査」にて書きました。 参加される方は、申込をお願いいたしますネ。 さて、今日は少し、別所砂留について説明しておきます。 「別所砂留」は福山市芦田町別所地区にある江戸期築造の砂留です。 1番~13番(?)があります。 はっきりいって何番までかよくわかりません。 最近ではさらに2つほど発見されたとか!? 整備が進むにつれ、どんどん増えていってるようなのです。 石積みも古いもので、「堂々川の砂留」より立派なものでは!?とささやかれております。 当初は「三谷家文書」の安政3年(1856)『御用状願書帳』にある「福田村別所砂留普請に3月4日、山手村石築の綱五郎が派遣された」という記述から、安政3年築造とされていましたが、 その後、あらたに、「国藤家文書」から弘化3年(1846)と天保11年(1840)の修繕工事願いの文書が見つかり、さらに古い築造ということがわかりました。 (↓詳しい内容は下記のリンクより) 築造年代については、今後の調査研究が期待されます。 別所砂留へ行った会員・あきぴょんさんのブログ (この中の14番・15番と表記しているのは最近見つかった2つとは別の砂留のようです。) 別所砂留を整備されている阿光さんのブログ (会員さんではありませんが、とても詳しく掲載されているので、リンクを張らせていただきます) 国頭家文書から見つかった別所砂留の記事 備陽史探訪の会会報166号と備陽史探訪の会会報167号 別所砂留は地元のかたが、何年もかけて整備をすすめてこられました。 将来的に利鎌山城跡と一緒に散策できるようになるといいですね。 どちらも、備後にとって、かけがえのない宝物です。 参加のお申込みはこちら管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会