備後史の原点「洗谷」を歩く【報告】12月1日【ぶら探訪】(その八)
12月1日(土)ぶら探訪8「備後史の原点(洗谷)を歩く」でした。
43名の参加です。
少々寒い日でありましたが、参加者は元気いっぱいで出発です。
ただ…出発の写真を撮り損ねてしまいまして、出発直後の写真からとなります。
洗谷貝塚に到着です。
偶然、道路工事中でして、現場の地層がむき出しになっていました。
冗談まじりに「貝殻でる~?」に「出ましたヨ」のお答えが…。
泥にまじって出ていたそうです。
わざわざ工事の手を止めて、対応してくださった現場の方にお礼を言って、
いざ!お次の探訪地へ
探訪の会の副会長だった故小林定市氏宅へお邪魔しました。
家族の方のご厚意で、氏が生前集められた洗谷貝塚、浜貝塚などからの出土品を見せていただけることに。
参加者が我も我もと押しかけて、その熱気で、しばし寒風も退散…。
通常は、博物館のショーケース越しにしか見れない遺物が手に取ってみることができるなんて!
参加者のテンションも高くなります!
土器の破片や歯型の残った獣骨もあり。
ご家族様にお礼を述べて、一同、次の探訪地へ!
しばし、のどかな田園風景の中を歩きます。
幕末、福山藩は城下を守るため、四口に訓練された農兵や猟師を置いて警備にあたらせたのですが、水呑洗谷屯所「水呑寄」は皮肉にも長州軍に使われてしまいました。
福山側の軍使が最初に長州川と接触したのは、この近くの「お菊茶屋」だそうです。
案内役の会長が力説する横でカメラを向けているのは、大本営跡を撮ろうとしているのではなく、右写真の古代ハスの看板を撮っていたようです。
ハスの花咲く頃にまた来てみたいですね。
水呑に三箇所あるという「松尾神社」のひとつにやってきました。
この神社の特徴は、びっしり奉納されたちっこいお銚子の風景。同じようなものだったので、奉納用のお銚子があるのでしょうかね。
トイレ休憩の間におもいおもいにお参りする参加者たち。
神社なんですが、菊の花にリンにろうそく・線香と完全に仏式です。
パンパンと拍手を打つべきかどうなのか…ちょっと迷います。
いよいよ本日のメインイベント「妙見山」登山です。
登って、登って、登って、登ります。
途中の腰掛石の休憩はお約束で…(笑)
ほとんど皆さん休みなしで一気に登られました。
再三、「無理しないように」「マイペースで」とのお声がけがありましたが、いや、皆さん健脚です。
やっと辿りついた妙見山。眼下に絶景が広がります。
宝山妙見山は、水呑妙顕寺によって管理運営された日蓮宗の霊場です。宝山妙見山といい、福山の地名は、この宝山に相対する地として名付けられたという説も…。
解説を聞きながら、しばし絶景を堪能しました。
鐘楼堂のところに降りた参加者たち。
ほぼ全員、鐘をつきました!
梵鐘の音は、その地に清浄をもたらし、厄を祓うので、地域の人々の幸せを願って、つきまくり~~。
もちろん近くの高いもの(岩山)に登るのもお約束です。
とりあえず長いものには巻かれてみよう。高いところには登ってみよう。
帰りは帰りでひたすら降りまくり。
あまりの急斜面に慎重に慎重に。
無事皆さん下山すると、お次は、鞆軽便鉄道の線路跡を歩いて南下します。
資料の地図を広げて説明する会長と線路跡を行く参加者たち。
途中、「さっきあんな道降りてきたの!?」と崖を見ながら、びっくりするやら感心するやら…。
ご近所さんにもぎたてレモンを頂く参加者もいたりして…。
地元の方とのちょっとした触れ会いも、ぶら探訪のいいところ。
最後は消防器庫前に移された道標。
どこにあったものでしょうか。
「右 栄所近(道?)」下がうずもれているのが残念ですね。
栄所は41連隊栄所、今のココローズあたりですね。
最後の〆は藤井事務局長の挨拶でした。
いよいよ探訪の会も、今年もあとひとつの催しを残すばかりとなりました。