3月7日【ぶら探訪】水野勝成「城下ゆかりの地散策マップ」東コースを「ぶら探訪」 開催

水野時代から城下は「福山城下30 町」と言われ、明治初年まで続きました。城下は、東側と西側に侍町(それぞれ「東町」「西町」)と寺社地、そして町人町で形成されておりました。

町人町は、福山城外堀につながった入川を中央として、北側を(内町)、南側を(神嶋)と呼びました。今回は町人町の(内町)16 か町をめぐりました。

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2026/03/IMG_4281-1024x683.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2026/03/IMG_4281-150x100.jpgSera活動報告水野時代から城下は「福山城下30 町」と言われ、明治初年まで続きました。城下は、東側と西側に侍町(それぞれ「東町」「西町」)と寺社地、そして町人町で形成されておりました。 町人町は、福山城外堀につながった入川を中央として、北側を(内町)、南側を(神嶋)と呼びました。今回は町人町の(内町)16 か町をめぐりました。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
駅前の五浦釣人像前に集合。今日の案内は奥村さんです。なじみのある城下を廻るということで一般方も多く参

駅前の五浦釣人像前に集合。今日の案内は奥村さんです。なじみのある城下を廻るということで一般方も多く参加されていました。

海から城下外堀に入川(入江)が通じていましたが、後にそれを分離する土手の築切が造られました。今痕跡は

海から城下外堀に入川(入江)が通じていましたが、後にそれを分離する土手の築切が造られました。今痕跡は何も残っていませんが、説明を受けると当時の情景が彷彿としてきます。

本通りの入川に掛かっていた木綿橋跡で。街中にある歴史を確認しながら、和気あいあいのぶら探訪です。街中

本通りの入川に掛かっていた木綿橋跡で。街中にある歴史を確認しながら、和気あいあいのぶら探訪です。街中にもいっぱい歴史はあります。

水野勝成公墓所で。山陽本線敷設により賢忠寺とは隔てた位置にありますが、当時は繋がっていました。三代勝

水野勝成公墓所で。山陽本線敷設により賢忠寺とは隔てた位置にありますが、当時は繋がっていました。三代勝貞公、四代勝種公も同所に葬られています。

北御門跡で。参加者同士もお互い資料を見ながら確認。

北御門跡で。参加者同士もお互い資料を見ながら確認。

福山駅北口広場で解散となりました。案内して頂いた奥村さんに感謝です。

福山駅北口広場で解散となりました。案内して頂いた奥村さんに感謝です。