私の好きな史跡

備陽史探訪:16号」より

山口 哲晶

私の好きな史跡を書いて欲しいという事であるが、見識の貧弱さゆえ未だ足が宙に浮かんでゆく様な場所は出会った事がない。それでも強いて言うならば、加茂町の吹越古墳群と石鎚古墳群との間にある菱原池(通称パンツ池)周辺が私の好きな場所といえる。
私の場合好きな史跡というのが二種類ある。そのひとつは、歴史上の人物が、この場所で何を考え、何を悩んだのだろうか。あるいは、毎日この道を通っていたであろうかという思いをはせる所であり、歴史上の人物を考える上での史跡である。
“どういう気持ちでこの場に立っていたのであろうか……、この場所に立って今の私と同じ夕陽を見たのであろうか……”と夢想するのはたのしい事である。
いまひとつは、風景と史跡の調和である。心のやすらぐ景色と史跡とが何のこだわりもなく、見事に静かに調和を保っている場所である。ながめていて心が無風状態で安心できる場所である。
これが加茂町の菱原池周辺である。ここは、朝がいい。池の堤に車を止め吹越古墳を見ていると何とも言えなくなる。言葉というものが次第に意味を失ってゆく。静かに水鳥が一条の筋を引きながら松の影を落とした水面を通るのが見える。秋の高い空の下でススキがうなだれて風に揺れている。石地蔵がある。辻堂もある。我が旧友は冬の夜、受験勉強に疲れてここを散策し、「寒月かかれば君におもう……」などという漢詩を作った所である。私は私で、ここに仮屋でもいとなんで遁世でもして、朝な夕なこの景色を肴に菊正宗を飲み、この風景に浸るなどという愚考をめぐらす事もある。しかし、これは歴史ではなくて文学の領域かも知れぬ。まあ、そんな事はどうでもいい。私は私なりに好きな史跡を書いたまでである。歴史とは、史跡とは私にとって「私」という人間への愛着である。歴史を学ぶという事は人間の人生と私の生き方とのかかわりである。そう思えば思うほど菱原池風景に、より愛着が持てるのである。
まだまだいい場所は沢山在るであろうが、今の私には一番いい場所の様に思える。

【菱原池】

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/mark.pnghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/09/mark-150x100.png管理人紀行・随筆「備陽史探訪:16号」より 山口 哲晶 私の好きな史跡を書いて欲しいという事であるが、見識の貧弱さゆえ未だ足が宙に浮かんでゆく様な場所は出会った事がない。それでも強いて言うならば、加茂町の吹越古墳群と石鎚古墳群との間にある菱原池(通称パンツ池)周辺が私の好きな場所といえる。 私の場合好きな史跡というのが二種類ある。そのひとつは、歴史上の人物が、この場所で何を考え、何を悩んだのだろうか。あるいは、毎日この道を通っていたであろうかという思いをはせる所であり、歴史上の人物を考える上での史跡である。 “どういう気持ちでこの場に立っていたのであろうか……、この場所に立って今の私と同じ夕陽を見たのであろうか……”と夢想するのはたのしい事である。 いまひとつは、風景と史跡の調和である。心のやすらぐ景色と史跡とが何のこだわりもなく、見事に静かに調和を保っている場所である。ながめていて心が無風状態で安心できる場所である。 これが加茂町の菱原池周辺である。ここは、朝がいい。池の堤に車を止め吹越古墳を見ていると何とも言えなくなる。言葉というものが次第に意味を失ってゆく。静かに水鳥が一条の筋を引きながら松の影を落とした水面を通るのが見える。秋の高い空の下でススキがうなだれて風に揺れている。石地蔵がある。辻堂もある。我が旧友は冬の夜、受験勉強に疲れてここを散策し、「寒月かかれば君におもう……」などという漢詩を作った所である。私は私で、ここに仮屋でもいとなんで遁世でもして、朝な夕なこの景色を肴に菊正宗を飲み、この風景に浸るなどという愚考をめぐらす事もある。しかし、これは歴史ではなくて文学の領域かも知れぬ。まあ、そんな事はどうでもいい。私は私なりに好きな史跡を書いたまでである。歴史とは、史跡とは私にとって「私」という人間への愛着である。歴史を学ぶという事は人間の人生と私の生き方とのかかわりである。そう思えば思うほど菱原池風景に、より愛着が持てるのである。 まだまだいい場所は沢山在るであろうが、今の私には一番いい場所の様に思える。 【菱原池】備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い