3月16日【現地学習】中世を読む「笠岡城跡」開催
https://bingo-history.net/archives/28815https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2024/03/20240316_160512-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2024/03/20240316_160512-150x100.jpg活動報告行事管理行事管理 jimu@bingo-history.netAuthor備陽史探訪の会
3月の「中世を読む」は、現地学習!
今回は、特別編ではなく通常の現地学習です。
備中兵乱450周年にあわせ、関連の城館に行き体感する企画です。
今回は、中世史部会の雑用係の杉本が案内します。
笠岡城跡は、明治の頃に主要部分が崩され、山頂部分は広い平坦面があり公園になっています。
そこで
斜面に何かあるかもね
という事で中腹を周回する歩道を歩きながら散策
石積があったり、竪堀のような地形があったり。
中央の山は、笠岡城とまた別の笠岡山城といわれる城跡です。
一般的には、笠岡城よりも古い城跡だといわれ、一説には、笠岡の町づくりのためにお隣の金浦から陶山氏が移ってきたとも。
笠岡城跡の頂上には、展望台がありそこからは四国まで望めます。
山田渡辺氏が鞆、手城、笠岡の要害を掛け持っていた事。それぞれの位置関係もよくわかります。
そして、毛利・織田戦争期の瀬戸内の司令所として小早川隆景が頻繁に出張していた事。
主要部がなくなって大した事ない城跡ではない実はとんでもなく重要だった笠岡城を体感できました。