岡田 宏一郎
尾道バイパスインターを南に下ると辻堂(四ツ堂)が見える。これが「尾道市高須町太田」にある辻堂(四ツ堂)である。
近くで見る。この道は旧山陽道である。バイパス側(北)から見たところ。
高須町太田の四っ堂の全景。左に石仏が祀られている。
辻堂横にある「目のお地蔵さん」と言われている。
南側から見る。こちらが正面である。
中には地蔵仏が十一体祀られている。
屋根裏を見る。太い梁が目につく。
西側から見た梁の様子。
南方向から見た辻堂。向うが尾道バイパスである。バイパスを左(西)に行くと「トラックステーション」がある。
もう一度辻堂を見る。この上の道がバイパスから下って国道二号線に出る道である。
南側が入ロで正面である。この辻堂は床がなく、ベンチのような「休み板」となっているのが特徴である。
辻堂からバイパスとインターが見える。
南東から見た辻堂の風景。
桃の花が素晴らしい。辻堂の向うがバイパスの道である。
北方向を見る。左の広告看板下に大師堂がある。この先、バイパスを左に曲がって進むと「しまなみ海道」に行く。
これが大師堂で「第四十九番」札所で、「西林山 浄土寺」と書かれている。本尊は釈迦如来である。
辻堂から道を渡って行くと「一里塚跡」があり、高須一里塚跡の表示がある。
この看板(避難場所)から竹薮そばを通る道が旧山陽道であるが、今は通れない。
高須一里塚跡の石柱。風化して読みにくいが「昭和口建立 高須村青年團」と読んだ。
鉄の柵のため写真が撮れない。「一里塚跡」とある。
右の柵の下に標柱がある。この道も旧山陽道である。この先を左に進む道が旧道で山陽道でもある。
電柱の近くが一里塚跡である。
辻堂から狭い住宅の間の田舎道を南に下った所にある「太田下組」の「竃神社」と「荒神さん」と「常夜灯」がある。常夜燈には「金毘羅大権現」と刻まれている。
【高須町太田の辻堂】
【高須ー里塚跡】
https://bingo-history.net/archives/21034https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/02/CCI_000117_39.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/02/CCI_000117_39-150x100.jpg管理人近世近代史岡田 宏一郎 尾道バイパスインターを南に下ると辻堂(四ツ堂)が見える。これが「尾道市高須町太田」にある辻堂(四ツ堂)である。
近くで見る。この道は旧山陽道である。バイパス側(北)から見たところ。
高須町太田の四っ堂の全景。左に石仏が祀られている。
辻堂横にある「目のお地蔵さん」と言われている。
南側から見る。こちらが正面である。
中には地蔵仏が十一体祀られている。
屋根裏を見る。太い梁が目につく。
西側から見た梁の様子。
南方向から見た辻堂。向うが尾道バイパスである。バイパスを左(西)に行くと「トラックステーション」がある。
もう一度辻堂を見る。この上の道がバイパスから下って国道二号線に出る道である。
南側が入ロで正面である。この辻堂は床がなく、ベンチのような「休み板」となっているのが特徴である。
辻堂からバイパスとインターが見える。
南東から見た辻堂の風景。
桃の花が素晴らしい。辻堂の向うがバイパスの道である。
北方向を見る。左の広告看板下に大師堂がある。この先、バイパスを左に曲がって進むと「しまなみ海道」に行く。
これが大師堂で「第四十九番」札所で、「西林山 浄土寺」と書かれている。本尊は釈迦如来である。
辻堂から道を渡って行くと「一里塚跡」があり、高須一里塚跡の表示がある。
この看板(避難場所)から竹薮そばを通る道が旧山陽道であるが、今は通れない。
高須一里塚跡の石柱。風化して読みにくいが「昭和口建立 高須村青年團」と読んだ。
鉄の柵のため写真が撮れない。「一里塚跡」とある。
右の柵の下に標柱がある。この道も旧山陽道である。この先を左に進む道が旧道で山陽道でもある。
電柱の近くが一里塚跡である。
辻堂から狭い住宅の間の田舎道を南に下った所にある「太田下組」の「竃神社」と「荒神さん」と「常夜灯」がある。常夜燈には「金毘羅大権現」と刻まれている。
【高須町太田の辻堂】 【高須ー里塚跡】管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会
備陽史探訪の会近世近代史部会では「近世福山の歴史を学ぶ」と題した定期的な勉強会を行っています。
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